詩篇 95:1-13 ; ヘブライ人への手紙 3:12-4:1
ヘブライ人への手紙は、最初の確信を最後まで持ち続けるように、と信仰を維持 するように、熱心に勧めます。「あなたがたのうち誰一人罪に惑わされて頑なにな らないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」と。この手紙 が書かれた時代のキリスト者が生きていた状況は、キリスト教に対する迫害が次第 に組織的になり、信仰を維持するために大きな戦いを避けることが出来ない切羽詰 まった状況であったようです。「初めのころの苦しい大きな戦い」、として、「嘲 られ、苦しめられて、見世物にされたこともあれば、このような目に合った仲間と なったこともありました」とか、「財産を奪われたこと」などがすでに過去の経験 としてあり(10:32―36)、また、「あなたがたはまだ罪と戦って血を流す まで抵抗したことがありません」(13:3)と語られるような将来が待っていま した。そのような外的な攻撃・迫害が現実の問題として迫っているような共同体に たいして、確信と希望に満ちた誇り」を持ち続けるように、と勧めるのです。 「生きた神から離れ去ること」、「信仰のない悪い心を抱くこと」の危険は、この ような外的な迫害状況においてだけでなく、むしろ、すべてが許され自由であり、 何ものからも信じることを妨げられることがない状況においてこそ、より深刻な問 題となって現れることを、わたしたちはよく知っています。信仰に固く立って、 『今日という日のうちに』互いに励まし合うことの大切さは、昨日も今日も変わる ことがありません。 生きた神への信仰を持ち続けるために、詩篇95編の言葉から、この天と地を造ら れた創造主なる神にたち帰ることと、御子・主イエスの、人としての歩みを覚える ことです。「深い地の底も御手の内にあり、山々の頂も主のもの。海も主のもの、 それらを造られたのは主。陸もまた御手によって造られた。わたしたちを造られた 方、主のみ前にひざまづこう」と。そして、その創造主なる神が、低く降って人と なり、わたしたちの兄弟となり、忠実な大祭司となって、わたしたちの罪を負って 死に、贖いをなし遂げてくださった主は、「試練を受けて苦しまれたからこそ、試 練を受けている人を助けることがお出来になる」、と教えるのです。
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