11月27日
2011年11月27日

「 生きている神の言葉 」

エレミヤ書 17:5-12 ; ヘブライ人への手紙 4:11-16


 神の言葉は生きている。神の言葉は力強い。どんな両刃の剣よりも鋭利で、切れ

味鋭く、魂と霊、関節と骨髄をばらばらに切り裂くほどに刺し貫き、心の思いや考

えを見分ける。造られたものはその前に隠れることはできない。すべてが裸になり、

その言葉の前に裸の状態に置かれる。その言葉は、わたしたちに向って語られてい

る・・・。ヘブライ人の手紙には、「神の安息にあずかるように全力を尽くそう」

という呼びかけと共に、この勧めが安易に聞き流されないように、神の言葉のこの

ような生きた働きをすることに注意を促します。聖書に記され、説教者を通して語

られる「神の言葉」の力強い生きた働きに対する信仰は、聖書に一貫しており、ま

た、キリスト教の信仰の基本です。旧新約聖書は、「聖霊により、神につき救いに

つきて、まったき知識を与たうる神の言葉にして、信仰と生活との誤りなき誤りな

き規範なり」と「日本基督教団信仰告白」でも告白されています。

 1ペトロ1:23には、「あなたがたは朽ちる種からではなく、朽ちない種から、

すなわち神の変わることのない生きた言葉によって生まれたものです」と語られま

す。また、ローマ1:16には、神の言葉、すなわち「福音」には「ユダヤ人をは

じめギリシャ人にも、信じるすべてに救いをもたらす神の力です」と語られ、紙の

言葉の持つ積極的な性格、救済力が語られています。「ヘブライ人への手紙で語ら

れている「神の言葉」は、ただ人の心にある思いを伝え、人と人とを結びつける絆、

表現の手段としての言葉ではありません。もっと激しく積極的な働きをするもの、

「言葉」そのものが、人の心に入り込み、心に秘めたものも露わにし、見分け、神

の前に裸にする、そのような攻撃的な働きをする、というのです。その言葉の働き

は、また、わたしたちを「神の安息」に導く力を持つものでもあります。神の言葉

は、キリストそのものであり、世界を創造し、「言は肉体となってわたしたちのう

ちに宿られた。・・それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ち

ていた」(ヨハネ1:14)、そのような言葉だからです。

 ここで『刺し通す』と訳された言葉の原意は、「三次元空間を動き回る」という

意味で、浸透する、侵入するという意味にも取れます。神の言葉が突き刺すだけで

なく、じっくり浸透して深い所で古いものを解体し、新しいものへとわたしたちを

つくり変える働きもあることを示唆しています。


秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る