詩篇110:1-7 ; ヘブライ人への手紙 5:2-5:10
聖書は、わたしたちの思いもかけない姿でわたしたちの世界を救う救い主の到来 を告げています。クリスマスの時には、ベツレヘムの羊飼いたちは、飼い葉桶に寝 かされている乳呑児こそ、それだと告げる天使の知らせを聞いて、急いで行ってみ ると『見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美 しながら帰って行った』のでした。 ヘブライ人への手紙では、キリストの到来とその独特の働きについて、また別の 救い主の姿があらわされていることを教えています。「メルキセデクに等しい大祭 司」として、その祭儀によってわたしたちの罪が贖われ、神の安息にあずかること ができる、というのです。新約聖書ではこの書だけに語られているキリストのイメ ージですが、全く奇想天外の思いつき、というわけではありません。というのは、 旧約の世界で、特別に神に召されて務めを果たす「油を注がれた者」は、王と預言 者と祭司の、三職でした。これをメシアと呼んだのです。終末の期待の高まりと共 に、メシアは、現在ある三職の者ではなく、真に神の国をもたらす「救世主」の意 味に使われるようになりました。ヘブライ人への手紙は、主イエス・キリストがそ の生涯において、特に、その十字架の死と復活において現わされた救いの御業は、 大祭司としての働きのその本質を実現したものであることを明らかにしているので す。つまり、民全体を代表して神の御前に立ち、生贄をささげて、民全体と自分自 身が犯してきた罪のための赦しを希い、その祭儀を通して、神からの赦しと回復が 与えられたことを宣言する、そのような働きです。「大祭司はすべて人間の中から 選ばれ、罪のための供え物や生贄をささげるよう、人々のために仕える職に任命さ れています。・・・」(5:1〜3)と記されているとおりです。ヘブライ人の手 紙では、キリストはこの大祭司の務めをアロン家の大祭司の系譜に属するのではな く、聖書の中に忽然と現れるアブラハムの時代のサレムの大祭司メルキセデクの系 列の大祭司だというのです。主イエス・キリストは、人間の罪、無知や弱さや迷い の根源にある、人類の始祖アダム伝来の罪を贖うために、人となり、兄弟となった だけでなく、大祭司として働かれます。
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