イザヤ書52:7-10 ; ルカによる福音書2:1-20
クリスマスに語られる神からのメッセージは、「良い知らせを告げる者の足は、 何と美しいことか」と讃えられ、また、「地の果てまで、すべての人がわたしたち の神の救いを仰ぐ」とイザヤが預言したような大きなスケールの喜びの知らせです。 天使ガブリエルがマリアに告げた知らせも、聖霊によって身ごもることになる子は 「偉大な人となり、いと高き方の子」と呼ばれ、「父ダビデの王座をくださる」と 約束された子どもです。しかし、その子どもが生まれるために設定された時と場所 は、何と予想されたものとは、懸け離れたものであることか。ローマ皇帝の勅令に よって振り回されるユダヤの国、臨月を迎えた身重のマリアを連れて生れ故郷に帰 って行くヨセフ、長い旅の末、迎え入れてくれる親戚も宿屋もない旅人、「彼らが ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで 飼い葉桶の中に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」との 有名な言葉は、天で約束され計画された出来事と、それが地上で実現する現実の落 差がどんなに大きいかを物語っています。この乳呑児を受け入れた地上の場所は 「飼い葉桶」であった、ということは、神の側で選びに選び、救いに主に最もふさ わしい場所として用意された場所であったのです。そのことは、羊飼いたちに「こ れこそが、あなたがたへのしるしです」と天使が告げた言葉によって確認できます。 この小さな、貧しい家族が旅先で出会った初子の出産の出来事が、どれほどの大き な、世界的な出来事であるかを知らせる重要な働きのために、天が周到に考え、選 びに選んだ人々は「ベツレヘムの野原で、野宿しながら、夜通し羊の群れの番をし ていた羊飼いたち」であった、この落差にも驚かされます。天使は、彼らに「恐れ るな。民全体に伝えられる大きな喜びを告げる」と言って、「今日ダビデの町に、 あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げたのでした。「民全体に与 えられる大いなる喜び」と「あなたがた」、ほかならぬ、夜通し野宿しながら羊の 番をしている羊飼い、との組み合わせは何とも不思議です。神はこのようなかたち で、「地の果てまで」、すなわち、わたしたちにも、神の救いを仰ぐ」ことが出来 るようにしてくださったのです。
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