列王記下8章1−66
豊かな知恵と洞察力、海辺の砂浜のような広い心を持ったといわれるソロモンに よってイスラエルは初めて恒久的な神殿を持ちます。その祈りのソロモンの有名な 祈り。神殿建設という事業が人間的な権力と富とによる達成ではなく、まさに神の 恵みの契約の実現と発展であることを学ぶことができます。さらによくこの祈りを 観察すると、いくつかの興味深い点に気づきます。 ソロモンが新しいレバノン杉の香りただよう神殿を前にして祝いの礼拝をしてい るとき、彼が向かう方向は二つです。神の箱のある方と民衆の方。会衆に背を向け て祭壇に向かって祈るとき彼は言います。「神は果たして地上にお住まいになるで しょうか。天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神 殿などなおふさわしくありません」ソロモンは神の箱に向かって祈るとき、そこに 何もないこと、空があることを知っています。しかもそこにすべてがあることを知 っているのです。全世界に満ち、生きた見えない神の前に立っていることであると 認識しているのです。 ソロモンは祈りの中で、イスラエル共同体がその歴史において祈り求めるべきこ とを列挙しています。隣人に対して罪を犯した場合、敵に打ち負かされた場合、早 魃、疫病、飢饉、いなご、あらゆる災害の時、捕虜になって異国でこの神殿に向か って祈るとき・・・まさに、「悩みの時に主を呼べ」といわれるような状況、その ようなとき人間は祈ります。しかし、注目すべきは、ただちに「たすけてください」 という叫びに直結しないで、「罪を赦してください、さばいてください、立ち帰ら せてください」と祈っています。祈りは、一面で、助けを求める叫びです。しかし、 自分の造った神に祈るのとは違って、生きた神に向かう祈りは、願いが直ちに聞き 届けられることによって助けが来ると考えません。罪が明らかにされ、神の義が回 復され、本来あるべき姿になることが、本当の助けが来ると知っています。 また、「聞いて下さい」と言う祈りは自分たちの困窮と必要についてだけではな く、「あなたの民イスラエルに属さない異国人」のさけび求めにも耳を傾けてくだ さいと祈っています。天地の造り主、見えざる真の神への祈りは、自己中心的な願 いを退けて、他者の叫びにも心を合わせることへと枠を広げています。 神の家はまさに、生きた主と出会うところ、本来の自分に立ち帰り、そのように して他者と出会い、神を讃美するところであることを確認させられます。