11月17日
1996年11月17日

「ノアの洪水(二)すべて大地よりぬぐい去られ」

創世記7章1−24


 ノアの洪水のような神話とも歴史ともつかないような物語は、現実とは遠く離れ

ている出来事ゆえに、いま起こっていることについて深く考える手がかりを与えま

す。

 七章では物語の二つの流れが決定的な出来事へと展開します。一方で神は、増大

していく人間の悪ゆえに、地上に造られたものをすべてぬぐい去ろうとして大洪水

を起こします。ここでは「ぬぐいさる」という非常に強い表現が繰り返されている

のが目につきます。抹消する、廃棄する、神が自分の創ったものを後悔して、根絶

する。そこには神の深い嘆き痛みなしのことではないが、また、痛みのゆえに処置

を遅らせることはない、強い決意を見ます。

 また、洪水のすさまじさの記述も注目に値します。洪水はただ大雨による河川の

氾濫ではないのです。「この日大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開か

れた」と記されます。これは、神によって創られた世界が再び原初の混沌世界、

「むなしく闇が地のおもてをおおっていた」、という世界に戻ってしまったという

ことです。土砂降りの人生と泥沼を歩き回る経験を重ね合わせてここで語られてい

ることを考えてみてください。驚くべきことに、神はこのように創造世界を否定さ

れ混沌と闇の支配をゆるされるのか、の問いに対しての聖書の答えは「否」ではな

く、「しかり」なのです。

 では、救いはあるのか、あります。ただし、全部の人にではなく、ノアという一

人の人に。ノアは、「この世代であなただけがわたしに従う人だとわたしは認めて

いる」といわれます。「わたしに従う人」というのは、「義人」というのと同じで

すが、ここでは特に、神の言葉、命令に従う人という意味です。ノアは、神の命じ

られたとおりに、ばかでかい箱船を、陸地に、造るのです。何故かは知らないまま

に。すべての動物を一つがいづつ集めて箱船の中に入れるのです。想像を超えるこ

の大事業、困難な、骨のおれる仕事を、ノアは「主が命じられたとおりにした」と

繰り返し語られています。自分の必要や目的のためではなく、人々に認められるた

めでもなく、ただ主が命じられたという理由だけでそのようにしているのです。こ

のノアとその家族、ひとつがいのすべての動物だけが、すべてがぬぐい去られ、

「深淵の源がことごとく裂け」というような闇と混沌の海の中で、ぽつんと一つ浮

かんだ箱船の中に残されています。「主はノアの後ろで戸を閉ざされた」。天と地

が閉ざされて、どこにも生きる余地のないところで、神は、このノアに、安住の所

が与えているのです。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る