創世記8章1−22
「神はノアと彼と共に箱船にいたすべての獣とすべての家畜とに御心を留め、地 の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた」 神が御心に留めてくださる、覚えていてくださる、これによって、かたちなくむ なしく闇が地の面をおおっていた混乱が支配する中で、箱船の中に閉じこもること によってかろうじて生き延びているノアとすべての生き物に救出の可能性が出てき ます。「御心に留めてくださる」、それは本当に慰め深いことばです。乙女マリア が神の子を宿すと告げられたとき、「お言葉どおりこの身になりますように」とい って歌った讃美の歌も「この卑しい女にさえ御心に留めてくださいました」でした。 主が御心に留めてくださるとき、混沌の中にも光が射してきます。「地の上に風を 吹かせられたので、水が減り始めた」、この風は創造のはじめに吹いた風と同じで す。それは霊であって、すべての創造はそれによってはじめられます。 ここで一つの問題に突き当たります。神がノアに御心を留められたのは、ノアが 正しい人であり、神に従順であったからなのでしょうか。ノアはただ一人その時代 の中で正しい人であり、神に従う人でした。何の保証も、見通しもないのに、ただ 神がそうせよと命じられたという、ただそれだけの理由で箱船を造り、すべて地の 生き物のつがいを集めるという、想像を絶するような困難な仕事をやりおえていま す。しかし、ノアがそのように正しく従順な人であったから、神がノアに御心を留 めたとは書かれていません。つまり、ノアが従順であることと神が御心に留められ ることとのあいだは、棒のようなものでつながれていて、一方が動けば、他方も必 然的に動くというようにはなっていないのです。しかし、神は確かにノアに御心を 留められ、確かな救出がはじまっています。神はお忘れになるような方ではありま せん。 今一つ興味深い言葉があります。ノアは1年と10日、狭く、暗く、臭い箱船の 中で土砂降りの続く大海の上を過ごしたのですが、やっと水が引いて大地の上に降 り立ったとき、まず第一にしたことは、お風呂にはいることではなくて、祭壇を築 いてはんさいをささげることでした。注目すべし、人類はここではじめて動物の命 を身代わりにささげることをとおして神を礼拝するという行為をしています。神と の関係はこのような犠牲、仲を媒介するものなしには持ちえないということを自覚 するようになっているのです。キリストの影をここで見ることができます。秋山牧師の説教集インデックスへ戻る