イザヤ書63:7-14 ; マタイによる福音書2:13-23
「王の王、主の主、全能の神の支配がはじまった。ハレルヤ」と歌ったクリスマス の出来事の直後に、ベツレヘムとその周辺の村々を襲った出来事はどう考えたらい いのでしょう。東方の占星術の博士たちがヘロデのところに寄らないで帰ってしま ったことを知った王は、激怒して、ベツレヘムとその周辺の村々の2歳以下の男の 子を皆殺しにしてしまった、というのです。ヘロデは何故に激しく怒り、このよう な残虐な愚行に走ったのでしょうか。それは、ヘロデのうちにある恐怖心であった でしょう。おそらく、ヘロデは真の救い主がこの国に必要であることを悟っていた でしょう。そして、王である自分が、全くそのような器ではないということを感じ ていたに違いありません。現実の必要と、それに対して全く無能であることについ て、また、自分を取り巻く人々が、内心とは裏腹に、追従の言葉ばかりを語るとい うことも。彼こそ、救い主が生まれた知らせを聞いたとき、「自分もその方を拝み に行きたい」という心が動いたことは確かです。しかし、彼が実際に取った行動は、 救い主となる者の誕生を排除し抹殺することであったのです。「この子は自分の民 を罪から救う」と約束された救い主を迎えるこの世界の状況は、このような心でし た。わたしたちのうちで罪がどのように働くか、実にリアルに示されています。 聖家族をこの暴虐から救ったのは、主の天使です。幼子である救い主は、この時 全く無力です。ただ、ヨセフに夢で「起きて、母と子を連れてエジプトに逃げ、わ たしが告げるまでそこにとどまっていなさい」と、ヘロデの手から逃れさせ、また、 ヘロデが死んだあと、イスラエルに帰り、ガリラヤの町ナザレに住むようにと指示 をするだけです。この時のヨセフの行動を通して、「信仰者の従順」を学ぶことが 出来ます。彼は、自分にふりかかったとんでもない重荷に対して、神に抗議したり、 責任を放棄したりしません。天使が告げる事態が意味していることをただちに悟り、 すぐに行動しています。罪が支配し、闇が支配する世界の状況の下で、聞くべき言 葉と、自分が責任を負って行動すべきことを悟っているのです。主イエスは、その 人としての生涯において「従順を学ばれた」と記されていますが、その従順の姿を、 まさに、父としての責任を託されたヨセフから学んだといえるでしょう。
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