申命記11:1-12 ; ヘブライ人への手紙5:11-6:8
ヘブライ人の手紙は、主イエス・キリストは御子であるにもかかわらず、多くの 苦しみによって従順を学ばれ、完全な者となって永遠の救いの源となられた」とい う重要な証言をした後、語調を変えて、「このことについては、話すことが沢山あ るのに、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません」と、聴衆 に対していらだちのような言葉を投げかけています。このように語ることによって、 漫然と聞いている者の聴く姿勢をただし、全身全霊をもって聴くようにと促すので す。そこには、「十字架において啓示されるイエスの恵みを叙述する、この最高で、 最も神聖な課題が彼らの心のうちに場所を見出すものとなるように」(A.シュラ ッター)という著者の激しい熱意が感じられます。 この言葉の背景には、この手紙が書かれた時代の教会には、既に「教えの初歩」 を体系的に教えるための「カテキズム」に類するものがまとまっていたこと、また、 それを教える人や、教える組織も形成されていたことをうかがわせます。この苛立 ったように見える言葉が向けられているのは、教えの初歩を聞く生徒に対してでは なく、教えるはずの教師に向けられていることに注意しなければなりません。「実 際、あなたがたは今ではもう教師になっているはずなのに、再び誰かに神の言葉の 初歩を教えてもらわねばならず・・・。」と。この世の中で迫害に耐え、悪魔の策 略の巧妙さを見抜いて、信仰を貫いてゆくためには、教えるはずのものこそ、「善 悪を見分ける感覚を経験によって訓練された成熟した信仰者になるよう、教えの初 歩を離れて、成熟を目指して進みましょう」と初歩の信仰だけで満足していて怠惰 に陥っている者を叱咤激励します。成熟に応じた固い食物を取るように、と。 信仰の初歩の、基本の教えとしてここに目次のように挙げられている6つの項目 も興味深いものです。1)死んだ教えの悔い改め、2)神への信仰、3)種々の洗 礼についての教え、4)手を置く儀式、5)死者の復活、6)永遠の審判。これら の項目から、初歩の教えの内容を類推することができます。二つずつに分けて見る と、更にキリスト者の信仰の必要な知識、実践、目標、が分かります。さて、私た ちは、これらの基礎にどれほど習熟し、また、ここからどのように成熟の過程を歩 んでいるでしょうか。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る