創世記22:6-18 ; ヘブライ人への手紙6:13-20
ヘブライ人への手紙が書かれた時代のキリスト教会は、外からの迫害と敵視、内 なる分裂と、まさに内憂外患の時代でした。そのような状況で脱落し、背教に至る 人々が多かったのでしょう。「あなたがたがおのおのが最後まで希望を持ち続ける ために、・・・怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継 ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです」と強く勧めます。 ここで見倣うべき信仰の模範として挙げられているのは、アブラハムです。確か に、神の呼び出しに応えて、行き先も知らないで旅立ち、数々の試練を経て、つい に多くの子孫の父となり祝福を受けたアブラハムの生涯は、信仰の父と呼ばれるに 値します。しかし、この手紙の著者は、アブラハムが示した信仰と決断に光を当て るのではなく、呼び出し祝福する神の約束の方にわたしたちの目を向けさせます。 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と神が言われたの は、独り子イサクを捧げるように神に言われて、イサクとともにモリヤの山に向い、 イサクを殺してはんさいとしてささげようとした直前に、神がその手を止めさせた 時に語られた言葉です、このような事例をあげて、「神は約束されたものを受け継 ぐ人々に、ご自分の計画が変わらないものであることを一層はっきりさせるために 誓いによって保証なさったのです」といいます。謎の言葉、「目指す希望を持ち続 けようとして世を逃れてきたわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励ま されるため」、という「二つの不変の事柄」とは、神が与えて下さる希望の「約束 と誓約」のことでしょう。 この手紙では「希望」という言葉に特別な意味があることを教えられます。パウ ロの手紙やその他では「福音」とか「信仰」という言葉で言い表される内容のこと を「希望」と言っています。それは、わたしたちの心の内にきざす何かではなく、 外にあるもの、目指すべき目標、神からの賜物、なのです。それは、また、共同体 が共有すべき何かです。この希望の堅持が強く勧められます。 この希望は、「魂にとって頼りになる、安定した錨」のようなもの」、と不思議 な譬えで表されます。キリスト者がこの世で生きて行くための落ち着き、穏やかさ、 平安、重量感、の拠って来たる所は、この神の約束と誓約に基づく「希望」にある というのです。
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