創世記14:13-24 ; ヘブライ人への手紙7:1-10
ヘブライ人への手紙は、主イエス・キリストが、すべての人間の中から選ばれ、 罪のための供え物やいけにえを献げる大祭司としての働きをされ、その執り成しの 故に、わたしたちは罪を赦されて神に大胆に近づくことが出来ると教えています。 その大祭司としての働きは、「メルキゼデクの同じような大祭司」の働きであった、 と謎のような言葉で語られます。7章からは、その「メルキゼデクと同じような」、 というのはどういう意味なのかが明らかにされます。メルキゼデクの名前は、アブ ラハムの時代に東の大国が攻めてきてカナンの諸都市国家を略奪し、ソドムにいた 甥のロトも家族もろとも連れ去られた時、アブラハムは家の子郎党を引き連れて東 の大軍に夜襲をかけ、連れ戻したことが創世記14章に記されています。そのとき 略奪した物と人を取り戻して帰還する時、サレムの王でありいと高き神の祭司であ ったメルキゼデクがアブラハムを祝福し、アブラハムはメルキゼデクに取り戻した ものの10分の1をささげたことが伝えられています。詩篇110篇には、メシア 到来の預言の中でメルキゼデクが「とこしえの祭司」として、現れます。 この時メルキゼデクが祝福し、アブラハムが10分の1をささげた、ということ が、重要な象徴的な出来事としてこの手紙では語られるのです。サレムの王メルキ ゼデクという名前そのものが意味を持ちます。「義の王」であり、サレム、すなわ ち「平和の王」という意味で、さらに、「彼には父もなく、母もなく、系図もなく、 また、生涯のはじめもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似たものであって、 永遠の祭司です」と、キリストとの類似性をあげています。このメルキゼデクによ ってアブラハムが祝福を受け、アブラハムが10分の1をささげたということは、 アブラハムから出た子孫すべてが、この祭司によって祝福を受け、この方に、献身 と感謝のしるしをささげたことになる、というわけです。旧約の祭儀についての考 えになじまないわたしたちには分かりにくい議論ですが、要するに、ここで語って いることは、モーセによって定められた律法と祭儀制度よりも、もっと根源的な神 の約束と誓約によって保証された祝福と希望がある、それこそ、主イエス・キリス トを通してしめされた希望だ、というのです。
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