エレミヤ書7:1-11 ; ヘブライ人への手紙7:11-19
ヘブライ人への手紙によって教えられる、独特の主イエス・キリストの働き、 「メルキゼデクと同じような大祭司」について、どうして、祭司の家柄の出ではな い主イエスが、大祭司としての働きが出来るのか、という議論が続きます。ここで は、「もし、レビの系統の祭司制度によって人が完全な状態に達することが出来た とすれば・・・」と、モーセとアロンに始まるレビの系統の祭司制度の「不完全性」 を明らかにし、さらに、「祭司制度に変更があれば律法にも変更があるはずです」 と、大胆にも、旧約の宗教の根幹である「律法と祭儀」とが無効であり、廃棄され た、と告げています。それゆえに、「メルキゼデクと同じような別の祭司」として 主イエス・キリストが立てられる必然性があった、というわけです。この祭司は、 (アロン家やレビの部族といった)肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の 力によって立てられたのです」と、主イエスの独特の性格が語られます。パウロが ローマの信徒への手紙で「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪 と死の法則からあなたを解放したのです。肉の弱さのために律法がなしえなかった ことを、神はしてくださったのです」(ローマ8:3)、と語ることと同じ内容の ことを、別の表現で言い表しているのです。パウロは、律法の行いによっては義と されない、と主張するのに対して、ヘブライ人への手紙の著者は、旧約の動物の供 え物による祭儀では不完全で救いは与えられないことを強調するのです。 ここで、「朽ちることのない命の力によって」主イエス・キリストが大祭司に立 てられた、と味わい深い言葉が語られています。それは、「神の本質の真の現れ」 であるキリストである故に、朽ちることのない命の力をもち、完成された救いをも たらすものであるという意味があることは確かです。しかし、それだけでなく、 「朽ちることのない命の力」は、罪と死の法則の下にあるわたしたちと同じ肉をと り、人としての苦難と死によって従順を学ばれた、示された神の子のへりくだり、 これによって示された「朽ちることのない命の力」のことも含まれている、と読む こともできます。「多くの子らを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を、数々 の苦しみを通して完全な者とされた」と語られるからです。
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