エレミヤ書31:1-6 ; 使徒言行録10:34-48
主イエス・キリストは十字架につけられ死んで三日目に復活され、昨日も今日も、 いつまでもわたしたちと共にいる、と約束されました。しかし、復活の主が共にお られるのは、人と人とが顔を合わせて共にいるという形とは違って、聖霊によって その存在を心に感じさせ、顕在化させることによってです。使徒言行録に記される ローマの百人隊長コルネリウスとその家族、友人が洗礼を受けキリスト者となった 出来事を通して、そのことを確認することができます。コルネリウスへの神の天使 のお告げ、ペトロへの幻などの働きかけがあって、ペトロとその一行がカイサリア のコルネリウスの家に到着し、主の言葉を聞こうと待ち構えている人々を前にペト ロが福音を語り始めます。ペトロの説教は、初代のキリスト者たちがどのような言 葉で福音を語ったのかを知る貴重な資料であり、その後の教会の説教の模範という べきものですが、ここでペトロは、神は人を分け隔てなさらないことが分かった、 ということに続いて、3つのことについての証言しています。(1)「わたしたち は、イエスがユダヤ人の住む地方、とくにエルサレムでなさったことの証人です」 と神から遣わされたメシアとして神の愛を示す働きをされたこと、(2)人々はイ エスを木に掛けて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、 人々の前に現してくださいました」と、その事実の証言、そして、(3)「また、 預言者たちも皆、イエスについて、その方を信じるものは、誰でもその名によって 罪の赦しが受けられると証ししています」と、主イエスの死と復活を信じる者に罪 の赦しが与えられること証ししています。この3つの証しは、たがいに大きく飛躍 しており、その連携はペトロの頭で考えだされた内的な連関をはるかに超えて、圧 倒的な上からの事実としてペトロに迫って来た事実を証ししていることがわかりま す。福音を語ることは、まさにこの事実の証言であることに改めて気付かされます。 復活の証人となるのは、「民全体ではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです」 と語られています。原文では、「一緒に食べ、一緒に飲む」と、主の晩餐を想起さ せる言葉になっています。聖餐にあずかるわたしたちも、また、復活の証人です。
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