イザヤ書 55:6-13 ; ヘブライ人への手紙 10:15-25
ペンテコステの日を記念して、その日を教会のはじまりの時としていることは意 味深いことだと思います。主イエス・キリストの受肉・誕生(クリスマス)の時で はなく、また、主の十字架と復活の時(イースター)でもなく、ペンテコステなの です。クリスマスからイースターに示されたイエス・キリストの生と死を通して現 された神の救いの御業が聖霊によってわたしたちの上に、わたしたちの心のただ中 にまで到達し、救いの当事者として新しい命に生きる者とされたとき、主の救いの 御業を心から感謝し語り伝えずにはおれなくなった時、その日から教会は生き始め ました。 ヘブライ人への手紙は7章から10章までのこの書の中心部分で、主イエス・キ リストを通して現された救いがどのような救いであったかを解き明かしていますが、 そこで語られた論証に基づいて、共同体への勧めと奨励とが語られます。「信頼し きって、真心から神に近づこうではありませんか」と言う勧めです。主イエス・キ リストの成し遂げて下さった救いの御業を知ることによって、また、聖霊に導かれ その事実を心に深く受け止めることによって歩みだされる信仰者の生き方、それが この一言によって言い表されているのです。 「聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされ ている大祭司」であるキリストが、常に生きていて執り成しておられるので、「ご 自分を通して神に近づく人たちを完全に救うことができる」と、そのような神とわ たしたちの間の仲介者として主イエスがおられること、そして、その仲介者である キリストが、一度限り、ご自身の体を罪の贖いのための供え物として天の聖所にさ さげられたことによって、わたしたちの罪のための贖いを成し遂げて下さった、こ のキリストの贖いの行為があること。これによって、「わたしたちの良心を死んだ 業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか」と言われます。こ のようなキリストの人格的存在とキリストによって成し遂げられた贖いの行為によ って、「ご自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださ った」と、新しい道が示されました。後に残ることは「心は清められ、良心のとが めはなくなり、体は清い水で洗われている」という事実に立って、すべて必要な手 立ては整えられたので、真心から神に近づこう、と勧められます。
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