12月6日
1998年12月6日

「光の子として歩みなさい」

エフェソの信徒への手紙5章6−20


 クリスマスの時期、様々な形で思い起こされるのは光の情景です。ベツレヘムの

野原で野宿をしていた羊飼いは、大きな光とともに、救い主の到来を告げる天使た

ちの声を聞きました。東方の博士たちは星の光を見て救い主としてお生まれになっ

た方を訪ね、遠くユダヤにまで旅をしました。光なしのクリスマスは考えられませ

ん。エフェソの信徒への手紙では、キリスト者の生活の仕方について語っている中

で、「あなたがたは以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。

光の子として歩みなさい」と語られます。キリストにあって生きるものも、光と深

い関係があり、光なしの生活は考えられません。

 旧い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る、キリスト者の生活のあるべき姿は、「赦し

合いなさい、神がキリストにあってあなた方を赦してくださったように」、「神に

従うものになりなさい、神に愛されている子どもですから」、「愛によって歩みな

さい、キリストがわたしたちを愛してご自身をささげられたように」と勧められ、

キリスト者の歩みが、苦労しながら前人未到の困難な山を登る式の歩みではなく、

目の前にいつもキリストの歩みがあるような、応答的な歩みであることが語られて

きました。従って、キリスト者の生活は、「感謝をあらわしなさい」という一言に

よって要約されます。

 そのような方向で語られてきたところで、全く違う角度からキリストにある信仰

者の生き方について示されているが、この「光の子らしく歩みなさい」です。角度

の違いに注目して、思いめぐらすと、この言葉によってキリスト者が置かれている

状況がよくわかります。キリスト者は愛し合う、感謝するという、意志的な、行動

的な歩みを通して信仰者となるよりもさきに、「暗闇の中から驚くべき光の中に招

き入れてくださった」、「闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に入れ

てくださった」というような全体的・包括的な状況に置かれているものであること

が明らかにされているのです。暗闇の領域から光の領域に移されたものなのです。

光の中にいるものですから、暗闇のなかでは見えなかったものが見え、暗闇の中で

はできたことが光の中では恥ずかしくてできなくなるでしょう。だから、「光の子

らしく歩みなさい」と勧められることになるのです。

 よく注意して聞いてください。ここではキリストが光だから、光を見て歩みなさ

いと言うのではなく、あなた方は、「主に結ばれて光となっている」というのです。


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