6月3日
2012年6月3日

「 かの日が近づいている故に 」

マラキ書 3:19-24 ; ヘブライ人への手紙 10:23-31


「イエスは…新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。更に、

わたしたちのために神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清め

られて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって真

心から神に近づこうではありませんか。」ヘブライ人への手紙を通して語られる最

も中心的なメッセージがここにあります。「神に近づこう」という勧めは、ヘブラ

イ人への手紙に独特の勧めですが、何か危険なにおいがします。というのは、「神

のようになりたい」という願いこそ人間の原罪の根源にあるものと教えられている

からです。アダムとイヴの罪は、取って食べるなと命じられていたにもかかわらず

善悪の木の実をみて、神の様になれると思って食べてしまった結果、エデンの園か

ら追放されたのでした。高い塔を築いて神のようになろうとして、言葉が乱され全

地に散らされて行ったバベルの塔の物語も思い起こされます。被造物に過ぎない人

間がその限界を打ち破って神のようになろうとするその心の故に、地は混沌に、光

は闇に、神の秩序は無秩序に変えられてゆく、この人間の罪の現実は今も生きてい

ると言わざるを得ません。「神に近づこう」という勧めと「神のようになってはい

けない」という警告と、どのように聞きわけたらいいのでしょう。それを解くカギ

は、「主イエスによって開かれた新しい生きた道」にあることは明らかです。主イ

エスの血によって罪の贖いが成し遂げられ、地上の聖所で大祭司一人しか入れなか

った神との交わりの隔ては、主が取り払ってくださって、信じる者すべてが恐れな

く神に近づくことができるようになった。この道が整えられているのです。

 この勧めは二つの事柄を勧めることによってさらに補強されています。一つは、

「互いに愛と善行に励み、集会を怠ることなく、励まし合う」という共同体の営み、

すなわち教会の働きが必要であること、他は、主イエスによって整えられた新しい

命の道を知りながら、故意に罪を犯すものに対しての厳しい警告です。罪のための

いけにえはもはや残っておらず、「生ける神の手に堕ちることは恐ろしいことです」

と容赦のない審判と、焼きつくす激しい火が待っていることが警告されるのです。


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