6月10日
2012年6月10日

「 敵を愛し、祈れ 」

申命記 19:15-21 ; マタイによる福音書 5:38-48


「『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。

悪人に手向ってはならない。誰かが右の頬を打つなら左の頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には上着をも取らせなさい。誰かが1ミリオ

ン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。

・・・」

 主イエスが山上の説教で語られる言葉は分かりやすく、誰の心にも新しい気付き

や天の父のもとで生きる生き方への目ざめが与えられます。それによって安心と希

望が与えられ、生きる勇気が与えられるのです。その中で、上記の勧めに出会う時、

到底できそうもないと立ち止まってしまいそうになります。ガリラヤ湖のほとり青

草の広がる野辺で主イエスの話を聞いていた人たちの多くは、ローマの支配者たち

や権力者の前で右の頬を打たれたり、借金のかたに下着を取られたり、無理矢理強

制労働のために駆り出されたり、力がない故に、貧しい故に、知恵も縁故もないが

ゆえに、しばしば惨めな屈辱的な思いをしていました。怒りや惨めさをぐっとこら

えて強い者の暴力になされるままになっている現実。ここで、どうして天の父の思

いに沿って正しく生きることができるのか。自由と人間性を取り戻すことができる

のか、主イエスの言葉は、まさにこの現実に生きる人に向って語られています。

 暴力的な悪意の下で生きる民衆の報復の暴発を防ぐ戒めとしての「目には目、歯

には歯」は、確かに復讐の連鎖を防ぐ有力な知恵です。しかし、主イエスは悪人に

手向うなと教え、右の頬を向けたら左の頬を向けよと教えます。さらに、「敵を愛

し、迫害する者のために祈れ」と教えるのです。負けるが勝ちと敗北の中で生きる

ことを勧めるのでしょうか。不正義と非人間的な仕打ちを甘受し、暴力を助長する

ことを勧めるのでしょうか。いやむしろ、本当に自由な生き方、真に人間性を回復

する道を教えていると思います。右の頬を打たれた人が左の頬を向けるとき、そこ

にはもはや被害者としての位置に止まるところから、明らかな意思をもって暴力的

な仕打ちに立ち向かう人格がなければなりません。その立ち向かい方の中に、真の

人間の神の愛を反映する明らかな意思があるのです。罪を担う主イエスの愛と決意

を聞く思いがします。

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