創世記 13:1-18 ; ヘブライ人への手紙 11:8-12
ヘブライ人への手紙11章は、「信仰とは、望んでいることを確信し、見えない 事実を確認することです」との言明に続いて、信仰に生きたアベル、エノク、ノア、 そして誰にもまして、この信仰に生きたアブラハムの歩みが語られます。アブラハ ムの生涯を通して現されている信仰の諸相の捉え方を通して、わたしたちは神を信 じて生きるということはどういう生き方をすることであるのかをさらに学ぶことが できます。 アブラハムの信仰第1:自分が受け継ぐことになっている土地を出て行くように 神に召し出されると、これに従い、行き先を知らずに出発した。信仰とは、神の言 葉、約束を信頼し、服従して歩み出すということ。 アブラハムの信仰第2:他国に宿るようにして約束の地に住み、天幕に住んだ。 神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望したから。信仰とは、現 状に土台を据え、安住することではなく、神が設計者・建設者である都、神の国を 待ち望みつつ、そこに向って生きること。 アブラハムの信仰第3:これには妻サラの信仰と合わせて、年齢が過ぎていたの に、子を授かるとの約束を信じて、死んだも同然の一人の人から、空の星のように、 また海辺の数えきれない砂のように多くの子孫が生まれた。信仰とは、ひたすらに 神の約束を信じ、人の目には不可能と思えることを可能にすること。 ヘブライ人への手紙の著者が捉えるアブラハムの信仰の諸相は独特ですが、そこ で現される信仰は、初めから備わっていたというより、それぞれの時に遭遇する課 題と取り組み、選びとられた道、決断の仕方が示されています。そしてそれぞれの 時と状況には戦いがあり、選び取られるものと捨てられるものがあり、その決断の 中で一貫して流れているもの、生きる姿勢としての信仰が現されています。現実と 希望、神の約束と現実の間には大きな乖離があり、約束の実現に向って歩み出す時 に、困難、失望、落胆、疑い、動揺なしにはないということです。その大きな乖離 を埋め、飛躍させ、希望に向って進ませる原動力、これが信仰です。このような信 仰の歩みを、天の故郷、神の都を目指して旅をする旅人、この世に仮住まいをして いる寄留者、地上ではよそ者、とたとえています。まさに、わたしたちは地上の旅 人なのです。
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