7月29日
2012年7月29日

「 モーセの信仰 」

出エジプト記 3:1-22 ; ヘブライ人への手紙 11:23-31


「大胆に、真心から神に近づこう」と勧めるヘブライ人への手紙の著者は、神に近

づく信仰の模範として、旧約の人物の信仰について語ります。アブラハムに続いて

イスラエルを奴隷の家エジプトから導き出した指導者モーセの信仰が語られます。

しかし、この著者によって語られる信仰は、わたしたちがすぐに思い浮かべるよう

な、あの燃える柴の中から語られる神との出会いや、エジプトを脱出して荒れ野を

旅する中で出会った神の導きのことを取り上げません。その信仰のエピソード1は、

「信仰によってモーセは生れてから三カ月間、両親によって隠されました。その子

の美しさを見、王の命令を恐れなかったのです」、です。ここで証しされた信仰は、

言うまでもなく、モーセのではなく、両親の信仰的決断ですが、その信仰とはどの

ような信仰だったのでしょう。ヘブライ人の男の子は生れたらすぐに殺すべしとの

エジプト王の命令は現実的な権威に裏付けられた現実的な力でした。しかし、生ま

れたばかりの男の子を殺したくないという心は人間の自然の感情です。ここでは、

現実的な力の前に自然の感情は抹殺されるという非情な現実に打ち勝つ力の出所を

「信仰」に見ているのです。「この子どもの美しいのを見て」とありますが、それ

は、そこにモーセの両親は神の約束を見たということでしょう。そこで神の約束と

神の備えにゆだねるという決断をした結果、不思議なことに、ナイル川に流された

嬰児を見つけたのがファラオの王女という最も危険な人物であったのに、そこが最

も安全な避難所となって、モーセはエジプト王女の子として育つことになります。

 モーセの信仰エピソード2は、成長したモーセが王女の子と言う立場に止まるこ

とをせず、進んで奴隷となっているイスラエルの同胞の味方になったことを挙げて

います。そこで語られることは、出エジプト記の記述とは違って、モーセの内面の

踏み込んだ解説を行っています。エジプト王の娘の子としての生活に止まるより、

神の民の苦しみ、虐待を共に受けることを選んだ、とか、エジプトの財宝よりもキ

リストの受けた非難を引き受けることの方が、より豊かな富を手に入れることにな

る、と考えた、と。主イエス・キリストの十字架の死と復活による救いと、それに

応える生き方を先取りしている、というのです。キリスト者の視点で神の救済史全

体を見渡す独特の視点を見ることができます。

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