12月8日
1996年12月8日

「救い主−飼い葉桶に寝かされている乳飲み子」

ルカによる福音書2章1−20


 いま世界中でクリスマスの準備がされています。クリスマスほど広く世界中の人

に祝われている祭りはないでしょう。これほど大きな広い流れのはじめは、実につ

つましいものです。まずはじめに二つの小さな出来事の流れがあります。ヨセフと

身重のマリアがベツレヘムへと旅をし、そこでマリアは月が満ちて初めての子を産

み、布にくるんで飼い葉桶の中に寝かせた、という旅の途中で大変なことになって

しまった夫婦の話、もう一つはベツレヘムの羊飼い、野宿して夜どおし羊の番をし

ているところに御使いが現れて「今日ダビデの町に救い主がお生まれになった」と

告げられ、飼い葉桶の中に寝かされてある幼子を見に動き出すという話、これらの

小さな流れが一つになって、それぞれが出来事を心に留めて思いめぐらし、神を讃

美するということになり、クリスマスの出来事はどんどん大きな流れになっていく

のです。神によって天から始められた出来事が人間の中に実現し、広がっていくと

き、その始まりはなんとつつましく目立たないものであるか、おおよそ、人間的な

栄光と輝き、賞賛と畏敬とはほど遠い、貧しさと粗野、マイナスのイメ−ジでとら

えられることの多い状況から、クリスマスの大きな喜びは始まっています。神の目

はそのようなところに深いいつくしみの目をとめておられます。

 ヨセフとマリアのベツレヘム行き、これはいろいろな無理の重なったものです。

ロ−マ皇帝アウグストによる人口調査。旅をしなければならないヨセフは抑圧され

たユダヤの民の苦しみ、怒り、無力感に胸をふさがれていたでしょう。ヨセフはこ

の旅に身重のマリアを伴っています。なぜナザレに残しておかなかったのか。マリ

アを結婚しない前の出産による人々の非難と中傷から守るためだった、とある注解

者はいいます。「身ごもっていた許嫁のマリアと一緒に登録するためにベツレヘム

に上った」ということばには、ヨセフの勇気と決断と思いやりが込められています。

そのような決断をするまで、どれほどの葛藤があったことでしょう。マリアも臨月

を迎えた体で何日もかかる徒歩旅行、泊まるあてもないところへの旅は愉快なもの

ではなかったでしょう。運命に翻弄されたような、小さな人間の不条理に満ちた生

活の一断面。しかし、勇気と決断と思いやりをもってこの事態を引き受け、ベツレ

ヘムに向かって旅をし、こうして預言者が預言したとおり、ユダヤのベツレヘムで

救い主が生まれるということが実現しています。しかも、それは飼い葉桶の中で実

現しているのです。

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