8月26日
2012年8月26日

「 信仰の創始者また完成者イエス 」

ヨブ記 36:5-21 ; ヘブライ人への手紙 12:1-6


 旧約の人物の信仰について語ってきたヘブライ人への手紙は、最後の勧めに至っ

て、「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人に囲まれている以上、すべ

ての重荷やからみつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く

走り抜こうではありませんか」と、「わたしたち」を鼓舞します。この手紙の最初

の読者は、「まだ血を流すほどの抵抗」はなかったにしても、すでに信仰の故に、

嘲られたり、辱めにあったり、捕えられた人の仲間になったこともあり、そのよう

な迫害のもとに生きていたことが、明らかですが、ここで「わたしたち」と呼びか

けられているのは、その時代の人たちだけではなく、まさに今生きているわたした

ちでもあるのはたしかです。

 信仰の生涯を「競走」にたとえるのは他の手紙でもよくあります。競走に勝ち抜

くために、鍛錬ヤ忍耐が必要であることの自覚を促しています。raceと言う英語を

辞書で引くと、この言葉はfor, against, with, という三つの前置詞と共に使われ

ることが多いと知らされます。どこに向って、何を目標に走るのか、何と、誰と、

戦うのか、誰と一緒に戦い競争するのかが、どんな競走にもついて回ります。信仰

の生涯には、どのような目標、戦いの相手、戦いの同伴者、仲間があるのか、ここ

でははっきりと語られています。目標・ゴールは「信仰の創始者また完成者である

イエスを見つめながら」走り抜こうと語られています。戦いの相手は、「すべての

重荷やからみつく罪をかなぐりすてる」ことが求められているのですから、それは

この世と、わたし自身の内にある罪です。同伴者は、雲のような証人と、何よりも

「恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになった」主

イエス・ご自身です。そのような模範があり、聖霊によって、共に歩んでくださる

主の励ましが、わたしたちを日々導きます。

 主イエス・キリストが信仰の生涯のゴール、また目標、ということは、必ずしも

自明のことではないと思います。わたしたちの信仰の目標は、心が平安になること

とか、正義と自由の社会を造ることとか、愛に満ちた生活をするとか、要するに、

わたしたちにとって望ましい生き方のために信仰を目指すべきだと考えがちです。

しかし、信仰の目標は主イエスだと明言しています。主の内に愛も正義も、平和も

あり、ここ以外にはないからです。

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