詩篇 118:5-16 ; ヘブライ人への手紙 13:1-6
ヘブライ人への手紙の最終章は、キリスト者が生きるべき生き方、聖なる生活の ありかたの具体的な形を示して、真心から神に近づく道がどのような生活かを教え ています。初代キリスト者の社会倫理、あるいはキリスト教共同体の倫理が示され ているのです。現代社会に生きる私たちは、この鏡の前に立って自分の姿を映し出 すとき、曖昧な歪んだ姿しか見えないとしたら、主イエス・キリストの命をいただ いて生きる者の現実から遠く離れていると言わなければなりません。 ここに示されている7つの倫理項目、兄弟愛に生きること、旅人をもてなすこと、 牢に捕らわれている人、虐待されている人を思いやること、結婚を重んじること、 淫らな者・姦淫するものとならないこと、金銭に執着しないこと、これらは新約聖 書の中にいたるところに語られている倫理項目で、珍しいものではありません。兄 弟愛、フィラデルフィアは、家族同士の愛というより、主に結ばれている兄弟姉妹、 つまり教会の仲間との交わりが愛によって結ばれる交わりであるようにとのすすめ です。次の、旅人をもてなすこと、獄に囚われている人や虐待されている人を思い やるようにとのすすめは兄弟愛とは緊張関係にあります。兄弟愛に生きることは自 然の感情の赴くところで、内向きの生き方です。しかし、獄に囚われている人を思 いやり非道な扱いを受けている人と同じ苦しみを受けている痛みを覚えるなどは、 どう見ても自然の感情の赴くところではなく、むしろ、そのような関係とは無関係 でいたいと思うのが自然でしょう。しかし、まさにここにキリスト教的な倫理の特 徴が現れています。社会の中心の権力と富のありかを志向するのではなく、むしろ 少数者のために、権力と富から遠い方へ、痛みと悲しみと不正義に苦しむ人を友と する方に向かうのです。これは、初代キリスト者が置かれていた社会状況や階層が そのような位置にあったことから、そこに共感を寄せるところがあったというのは 事実でしょう。しかし、もっと決定的なことは、主イエス・キリストの生き方その ものに心を寄せ、その生き方に倣う故に、その志向する方向が決められているとい うべきです。キリスト教の歴史は、これらの倫理項目、最も小さい者に主を見る生 き方をめぐって、一つ一つ確実にそれらを組織的に実行してきたことを示していま す。現代の私たちは?
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