10月14日
2012年10月14日

「 讃美のいけにえを献げよう 」

出エジプト記 29:3b-14 ; ヘブライ人への手紙 13:9-16


 ヘブライ人への手紙の最終章には「イエス・キリストは、きのうも、今日も、ま

た永遠に変わることのない方です」と慰め深い言葉が語られていますが、それに続

いて謎のような言葉が続きます。「食べ物ではなく、恵みによって心が強められる

のは良いことです」とか「わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えてい

る人たちは、それから取って食べる権利はありません。なぜなら、罪を贖うための

動物の血は、大祭司によって聖所に運びいれられますが、その体は宿営の外で焼か

れるからです。イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で

苦難に遭われたのです」と。要するに、旧約的な、あるいは、ユダヤ教的な生き方

から離れて、主イエスにあって生きる自由な新しい生活、恵みによって生きる生活

をするようにとの勧めですが、これだけ読んだのでは何を言っているのかよく分か

りません。

 ここには、恵みによって生きる生活と食べ物に縛られて生きる生活とが対比され、

古い契約と新しい契約のもとに生きるあり方の違いが語られています。食べ物に縛

られる生き方とは、清い食べ物と汚れた食べ物があって、戒めを守ることが神に認

められるよい生き方とされる旧約的な生き方全般のことを表します。主イエス・キ

リストの血によって贖われ、罪をゆるされた者は、もはやそのような戒めのもとに

はいません。戒めを守ることによって誇りを得たり人を裁いたりする自己を中心に

した生き方から、共に罪をゆるされ、恵みのもとに生きる生活への転換、これがキ

リスト者の生活の基本です。また、旧約の祭壇や幕屋、つまり「礼拝の場」と、新

約の「礼拝の場」との違いも明らかにされています。キリスト者の礼拝の場は、雄

牛や雄山羊の血がささげられる旧約の祭壇ではなく、キリストの体のある所だとの

独特の見解が示され、キリストが十字架につけられた場所、ゴルゴタはエルサレム

の城外、つまり「宿営の外」です。だから、わたしたちも「イエスが受けられた辱

めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに近づこうではありませんか」と、驚くべ

き勧めへと展開します。わたしたちの礼拝の場は、この地上で安心・安住の地が確

保されているのではない。むしろ、苦難と辱めに満ちた所だと認識するとともに、

そこでこそ、賛美と感謝のいけにえを献げようというのです。

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