サムエル記上 2:1-11 ; マルコによる福音書 13:1-13
アドヴェントのときが近づいています。クリスマスに向かう心ぞなえをするとき ですが、わたしたちは過去に起こった主の到来を待つだけでなく、これから起こる 主の来臨に備えなければならないことが主イエスの言葉によって示されています。 主イエスの時代に完成したばかりの神殿、ヘロデ大王の手によって大々的に修復拡 張された神殿の大きな石や壮大な柱廊に、弟子の一人が感嘆の声を上げたとき、主 イエスは言われました。「これらの石の一つも崩れずに他の石の上に残ることはな い」と。今あるすばらしいもの大いなるものを通して神の業を見るのとは違って、 終局の相から現在のものを見る見方がここには示されています。信仰者の世界を見 る見方の大きな特徴がここにあります。 終局に至るまでの時の徴、その時期について問うペトロや他の弟子たちの問いに 対して、十字架の死を前にした主イエスの答えは、わたしたちに安心と平穏無事を 約束するものではありません。偽りの救世主、惑わしと争い、戦争、民族と民族、 国が国に対して敵対し、地震、飢餓、それらのことが相次ぐ、と。確かに、これら のことは、想定外のことではありませんが、ここで主が語られることが重要です。 「これらは起こらねばならないが、まだ世の終わりではない」というのです。これ らのことに直面するとわたしたちは世の終わりだと絶望し、声高に叫び破滅に向か って突進したくなりますが、まだ終わりではない、と。それだけではなく、こらら は「産みの苦しみのはじめ」と言われるのです。 これらの終局に至る時の徴はわたしたちの生きている社会が経験することですが、 わたしたち自身にも降りかかってくる混乱と混沌の時があることを教え、わたした ちの心を引き締めるようにと注意を促しています。「地方法院に引き渡され、会堂 で打ちたたかれる。総督や王の前に立たされてわたしのために証する・・。」信仰 のゆえに非難、排斥、迫害、殉教の事態が起こることを明らかにしています。これ らも、絵空事ではなく、すでに起こったこと、これからも起こることでしょう。し かし、ここでも驚くべきことに、このようにして、「まず福音があらゆる民に宣べ 伝えられなければならない」と主は言われます。福音宣教のときは、まさに、この 終局に向かうときにこそある、と主は語られるのです。
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