12月2日
2012年12月2日

「 主イエスが来られる時に備えて 」

エレミヤ書 33:14-16 ; テサロニケの信徒への手紙一 3:6-13


 テサロニケの信徒への手紙は、キリストの体である教会が健康であり、生きてい

るということはどういうことかを教えられ、考えさせられる手紙です。パウロら伝

道者の一行は、わずか3回の安息日の間だけこの街に滞在し、ユダヤ人の会堂で

「メシアは必ず苦しみを受けねばならない」といった聖書のメッセージを語りまし

た。これを聞いて、信仰に入れられた人々の群れができましたが、ねたみを覚えた

ユダヤ人の迫害に遭って、あわただしく立ち去らなければなりませんでした。その

ときにできた小さな教会が、キリストの福音に堅く立って歩み、主に結びついた共

同体として成長している姿を聞いて、喜びと感謝にあふれた手紙を書いているので

す。「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、

力と聖霊と強い確信によったのです。・・・あなたがたはひどい苦しみの中で、聖

霊による喜びをもってみ言葉を受けいれ、わたしに倣う者、主に倣う者となり、マ

ケドニア州とアカイア州にいる信者の模範となるにいたった」(1:5−7)と、

その教会の健康な成長の姿を描いています。

 ここで特に深く印象付けられるのは、パウロとテサロニケの教会の間に結ばれた

絆について、「あなたがたが主にしっかり結ばれているなら、今わたしは生きてい

るといえる」と記していることです。パウロの伝道者・牧会者としての心情がこのよ

うに表現されているのです。別のところでは、「主イエスが来られるとき、その御

前で、いったいあなた以外の誰が、わたしの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょ

うか」(2:19)とも語られています。主にしっかりと結びつくということは、

主との絆が結ばれるというだけでなく、ばらばらにされ、孤立し、自らの存在の意

味さえ見失いがちのこの世界の中に、このような信頼と愛と、また共同の使命を担

う「連帯」(solidarity)の絆が生まれているのです。キリストの愛はアガペーの

愛で、無条件の愛、罪びとを愛する愛、見返りを求めない愛ですが、その愛によっ

て堅く立ち、生きるとき、このような絆の回復、愛の連鎖が起こるのは確かです。

 この交わりの中で、さらに、「主がお互いの愛とすべての人への愛で豊かにされ

るように」と、「主の来臨のとき、聖なる非の打ち所のないものにしてくださるよ

うに」と執り成しの祈りをしています。主の到来を待つわたしたちにとっても、こ

れが課題です。

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