ミカ書 5:1-5 ; ルカによる福音書 1:39-56
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分 の低いこの主のはした女にも目を留めてくださったからです。」マグニフィカート としてクリスマスのたびに歌われる「マリアの賛歌」は、救い主の誕生をお迎えす るもっとも相応しい心と行動をわたしたちに示してくれます。 「聖霊があなたに降り、いと高き力があなたに臨む」という天使ガブリエルが告げ る不思議な言葉と共に、未婚の身のマリアが、身ごもることを知らされました。驚 くべきことに、「わたしは主のはした女です。お言葉通りこの身になりますように」 と答えて、人生を一変させるこの大きな事態を受けいれたのでした。マリアは、こ こで座り込んでいません。立ち上がり、行動を起こします。自分が負わなければな らない茨の道を歩むために、立ち上がって向かったところは、親戚のエリサベトの 家でした。エリサベトもまた老年になっていましたが聖霊の働きによって身ごもり、 すでに6ヶ月の身重になっていました。主のみ業を受け入れ、その実現に向かって 生きる人との仲間を求め、交わりを求めて、ユダの山里まで“急いで”遠い旅に向 かったのです。マリアを迎えたエリサベトは、「わたしの主のお母さま」と若いマリ アを呼び、「主がおっしゃったことが必ず実現すると信じた方は、なんとさいわい でしょう」と心から喜び祝福します。マリアは、世間の疑惑と不信の目にさらされ、 押しつぶされて主のみ業を担うことから撤退するのではなく、大胆に担うために、 もっとも賢明な場所と人を選んだのです。共に主のみ業を喜んで担う仲間、この共 同体の交わりの中から、マリアの賛美、マグニフカートが生まれます。 ここで歌われているマリアの心は、(1)神を大きくし、自分を小さく低い“は した女”とすることを心から喜ぶ心、(2)自分の低さと小ささにもかかわらず、 主が目を留めて下さったことを喜ぶ心、(3)自分の身を通して神の力強い御腕の 働きの本質を見極める心、すなわち、主は思い上がるものを打ち散らし、権力ある ものをその座から引き降ろされる方であると共に、身分の低い者を高く引き上げ、 飢えた者をよいもので満たしてくださる方であると歌います。このことを喜ぶマリ アの心を通して、この女性から生まれ出た主イエスがどのような神の救いをわたし たちの世界にもたらしてくださるかの見通しと展望が開かれているのです。
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