12月15日
1996年12月15日

「全地への広がり」

創世記9章18−10章32


 ノアの洪水後の世界、神は再び、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と人に祝福を

与えます。「人の思いはかることは、幼いときから悪い」ことを認めているにも関

わらずです。こうして、ノアの3人の息子から全世界の言語、氏族、民族が分かれ

ていったと記されています。全世界へ広がり、そして民族への分化がここからはじ

まったというのです。ここには現世界の最大の難問題、人種、民族、文化の違いを

どのように捉えるか、ということについての基本的な枠組みが提示されています。

その中にはきわめて根本的な、また平明な主張があります。すなわち、民族や言語

の違いはノアの洪水以降、ノアの子どもたちからはじまったというのですから、そ

の違いは先天的、根本的な違いではなく、本来同じ家族だったということ、つまり、

「人間はみな兄弟」ということです。しかも、アダムからではなく、ノアの洪水以

後、神が忍耐と寛容をもって人間の悪を忍び、罪に従って裁きをされない時代の状

況だというのです。民族間の格差、反発、対立の動きは、神が造られた違いが原因

なのではありません。

 しかし、9章後半にはまことに奇妙な話があります。ノアが酔っぱらって醜態を

さらけ出しているにおハムが見て、それをセムとヤフェトに告げたら、二人は父親

の裸を見ないようにして覆いをしたこと、これを泥酔から覚めたノアが知って、ハ

ムを呪い、セムとヤフェトを祝福したというのです。同じ兄弟の仲に祝福される者

と呪われて他の兄弟の奴隷になる者に分かれてくるということも変ですし、また地

上の人の内ただひとり正しい人といわれた、慰めの人ノアの語ることばとしてはな

んとも中身の薄いものです。自分の醜態がもたらした結果から自分の子どもを祝福

と呪いに分けているにですから。、聖書の描く人間はまったく英雄的ではありませ

ん。

 古い降誕を描いている絵には、救い主を拝みにはるばる東の国から旅をしてきた

博士たちを、セム、ハム、ヤフェトを代表する者として、違う人種に描かれている

絵が多くあります。分かれ、対立し、解きほぐしようもないこんがらがってしまっ

た民族、人種の対立、この裂けてしまった関係の中で、それぞれの贈り物を携えて

、独りの救い主、飼い葉桶の中に寝かされた幼子キリストの前に跪くことができる

ならば・・・。民族の全世界への広がりはこのようにわたしたちをベツレヘムの馬

小屋へと導きます。

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