コヘレトの言葉 3:1-12 ; ローマの信徒への手紙 8:18-30
「神が造られたすべてのものは、その時に適って美しい。その上、人の心に永遠を 思う思いを与えられた。ただし、人は神が造られたものを始から終わりまで診るこ とはできない。」天の下の出来事には何事にも時がある、と語り、時の中に生きる 人間の不自由さを嘆いたコヘレトは、ここにいたって驚くべき思考の揺らぎを示し、 深く、美しく、心に響く言葉を語り出します。「時に適って美しい」は、「時におい て」とか「時と結びついて」と訳すことも出来ます。すぐ前のところで、人生には さまざまな時があることを列挙しています。生まれるとき、死ぬとき、殺すとき、 癒すとき・・・、それらの時は、神が人の子らに賜った時であって、それは、すべ て、時に適って、美しい、と言うのです。「愛するとき」や「平和のとき」など、 一つのときだけが美しいのではなく「憎むとき」や「戦争のとき」も、それぞれが時に 適って美しい、となんと大胆な観察なのでしょう。神のなさることのすべて、この 被造世界で起こることは、何一つ無駄がなく、ジャスト・タイミングで、美しい、 このような観察は、時を自分のものと考える考えを捨てて、神の時に生きる信仰な しにはありえません。創造のはじめ「神はお造りになったすべてのものをご覧にな った。見よ、それは極めてよかった」(創世記1:31)と語られるみ言葉、主イエス・ キリストの霊にあずかって、「霊は、神の御心に従って聖なる者たちのために執り 成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者 たちには、万事が益となるように共に働くと言うことを、わたしたちは知っていま す」(ローマ8:27-8) と信じる信仰によって生み出される、時の中に生きる生き方です。 コヘレトは「神がなさることは時に適って美しい」と認識するところから、「そ の上、人の心に永遠を思う心を与えられた」と、さらに大いなる思考の飛躍へと導 きます。時に追われ、時に縛られ、時に迫られているわたしたちの日常では思いつ かない発想ですが、時を認識することは、その対極にある「永遠」を認識すること、 過去、現在、未来、のときの流れを意識することは、時に流されたり消え去ったり することのない、変わることのないものへと心を向け、認識すること、まさに、人 間の心は、この転換と飛躍をする心を持っているが故に、神に造られた存在である ことを知らされると共に、時の中を生きる慎ましさに導かれるのです。
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