コヘレトの言葉 4:13-16 ; マタイによる福音書 11:25-30
「貧しくて利口な少年のほうが、老いて愚かになり忠告を受けいれなくなった王よ りも良い。」 国を治め民を導く王について、年をとって暗愚になり、わがままで、人の言う事 に耳を傾けない王よりは、貧しくても賢い少年によって国が治められる方がよいと いうのですから、クーデタを促すような不穏当な言葉が語られています。しかし、 この言葉と次に語られる言葉のつながりをどのように考えるべきか、意見の分かれ るところですが、大意は、「先立つ代にも、また後に来る代にも、この少年につい て喜び祝うものはない」、と言うことですから、民衆の心は変わりやすく、成り上 がりの才知によって王になったこの王をすぐに捨てて、また別の支配者を求め、前 の王のことは忘れられるということです。このような人の世の移り変わり、目先の ことに心奪われて生きるさまを「これもまた空しく、風を追うようなことだ」と嘆き ます。 コヘレトはどの時代の誰のことを言っているのかはわかりませんが、年取った暗 愚な王と貧しいが賢い少年はサウル王と少年ダビデの関係を思い起させます。しか し、ソロモン王とその継承者レハベアムの関係では、後を継いだ者のほうが暗愚な 若者でしたから、年をとった王が駄目で若い者の方が良いとの原則はイスラエルの 歴史にしてもその他の国の歴史を見ても当てはまりません。いずれにしても、国の 支配権をめぐって空しい変遷と変わりやすい民衆の心があることを観察しています。 しかし、コヘレトの言葉からは、このように空しく風を追うような世界の中でど のような支配者を求め、どのような社会秩序を造り出したらいいのかを知ることは 出来ません。空しく風を追うような政治の社会には出来るだけ関わらないように、 関わりを持たず距離をおくべきか、聖書全体がわたしたちにご自身を表される神は そのようには教えません。神ご自身が父・子・聖霊なる三位一体の神であられ、交わ りにおいて働かれます。その交わりは、人の世界の不正義と無慈悲、抑圧の叫びに 対して耳を傾け、人を立てて解放の働きを起こされる神です。
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