コヘレトの言葉 4:17-5:6 ; ルカによる福音書 18:9-14
「コヘレトの言葉」の中には人生に関する観察の言葉が多く、“神”という言葉や 信仰に関する言葉はあまり多くはありません。しかし、ここでは主なる神に対して どのような姿勢であるべきか、主なる神との向かい合い方、要するに礼拝の作法が 説かれています。三つの正しい礼拝のあり方が勧められています。 1)神の家に近づくとき(礼拝をする時)供え物をいかに多く献げるかよりも、聞 き従うことのほうが大切だ。 2)祈りをする時、言葉を多くし、くどくどと祈る必要はない。 3)神の前で誓約をしたら、それを果すことを遅らせることなく必ず果さなければ ならない。 これらの神を礼拝するものの作法は、預言者たちが教え、また主イエスも語って おられることと同じ精神で、主なる神に対して人が取るべきふさわしい態度、慎み、 敬虔のあり方を示しています。 「神の家に近づくとき、その足を慎むがよい。近づいて聞くことの方が愚かな人の 献げ物よりもよい。悪を行ってもその悪に気づかないからだ。」旧約の民にとって 礼拝をするということは焼き尽くす献げ物を献げること、そのための祭壇を築くこ とでした。しかし、この行為が形骸化し、供え物さえしておけば神をなだめ鎮め、 祝福にあずかることができると考えるような堕落に対して、預言者たちは厳しくそ の罪を指摘しました。礼拝の心と行為とが分裂し、生きた神との交わりが閉ざされ て、人間の自己満足に終わる宗教に対して警告したのです。「人よ、何が善であり、 主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを 愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ6:8)と格調高く述 べられている通りです。 「焦って口を開き、心せいて神の前に言葉を出そうとするな。神は天にいまし、あ なたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。」わたしたちの祈りは、悩みや思い煩い の多さに従って祈りの言葉が多くなります。また、人前での祈りでも、本当の心と は裏腹にきれいごとを並べます。コヘレトは祈るとき「言葉数を少なくせよ」と警 告します。くどくどと祈る必要がないのは、わたしたちの祈りより先に、主の祈り があり、天にいます主なる神はわたしたちの必要を知っておられるからです。むし ろ祈りのとき、静まって神の思いに心を合わせることこそ真の祈りだ、と教えるの です。
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