5月26日
2013年5月26日

「 富を愛する者に満足はない 」

コヘレトの言葉 5:7-11 ; マタイによる福音書 6:19-24


 教会暦では、ペンテコステの後アドヴェントまでのほぼ半年間は「三位一体主日」

が続き、これを通常の時とします。「全世界に出て行って福音を宣べ伝え、すべての

国民をわたしの弟子として、父と子と聖霊の名によってバプテスマを施せ」との宣教

命令を果すべき日常へと、主の体である教会は派遣されるのです。

 コヘレトの言葉は、わたしたちが出会う宣教の場、人間の世界と心の状況について

の深い洞察が続きます。「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠

如などがこの国にあるのを見ても驚くな」。社会的な格差の現実、特に貧しい人に対

して、公正や正義が犯されて、人間としての扱いを受けていない現実に目を注いでい

ます。しかし、これをコヘレトはどう見ているかについて、解釈が分かれます。新共

同訳では、「なぜなら、身分の高いものを身分の高いものがかばい、さらに身分の高

いものが両者をかばうのだから」となっていて、官僚機構の中で働く自己保存の欲求

が組織全体の不正義・不公正を温存させ、腐敗堕落を止めることが出来ないから、驚

くには当たらないと、まさに驚くべき無責任な観察に終わっています。ところが、多

くの他の訳では、「なぜなら、高い位にあるものは、さらに高い位の者に監視され、

さらにまた高い位の者が彼らの上にいるからだ」と訳されていて、組織には上位の者

による監視システムが働くから、正義と公正が保たれるので、驚くことはない、とい

うことになります。全く反対の意味になります。このように解釈が分かれるのは、ヘ

ブル語の”ショーブ”という言葉が、「かばう」「監視する」と両方の意味を持って

いるからです。どちらを採るかによって意味が逆転します。これに続く言葉、「しか

しすべてのことを考慮すれば、王がよく耕された土地に仕えること、このことこそ土

地にとって利益になることだ」との関連を考えれば、国家の組織が健全に働く要諦を

陳べているようで、後者の解釈のほうを採りたいと思います。

 その後、「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。

・・・財産が増せば、それを食らう者も増す。持ち主は眺めているばかりで、何の得

もない。働く者の眠りは快い・・・金持ちは食べ飽きても眠れない」、と金や物に依

り頼んでて生きる生き方の空しさを観察しています。「あなたがたは神と富とに仕え

ることは出来ない」という主イエスの言葉を裏打ちするものです。

秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る