コヘレトの言葉 5:12-19 ; ルカによる福音書 16:1-13
コヘレトの言葉は富や財産、金の所有を持って心の支えとしているような生き方に 対して、その危うさ、軽薄さに警鐘を鳴らしています。「太陽の下に大きな不幸があ るのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている。下手に使ってその富を失い、 息子が生まれても彼の手には何もない。」このような例は古今東西どこにでもその例 を見ることが出来ます。まさにコヘレトは庶民生活の観察者です。ここで語られてい る意味は、富が本来生活を豊かにし幸福をもたらすはずのものですが、かえってその 所有者を傷つけ損なう働きをすることがあること、また、富が悪用されて悪を助長す る働きがあることを見抜いているのです。富を持とうとする人間の欲望には果てしが なく、持てば持つほどもっと欲しくなるというだけでなく、富そのものが人の心を損 なう性格を持っていることを指摘しているのです。自分には財産や富など関係がない から、この心配は要らない、と考える人も、その富を知的・霊的資産にまで広げると、 与えられている資産をどのように用いているかについて反省させられます。本来豊か にするはずの資産そのものが、平和を奪い心を損なう働きをする、そのような社会の 構造、わたしたちの心の誇りの病の構造に、わたしたちも組み込まれています。 このような逆転から解放され救われる処方箋として、コヘレトは人の命の現実にも っと深く目を留めるように勧めます。「人は裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来 たときの姿で行くのだ。労苦の結果を何一つ持ってゆくわけではない」と。ヨブ記の はじめの物語で語られる言葉と同じです。ヨブ記の場合は一切の財産と子どもを失っ た後で、この言葉を語り、「主の御名はほめたたえられよ」と賛美の言葉が続きますが、 コヘレトの場合は「風を追うようなものだ」と人生の空しさを嘆くことに向います。試 みの現実のただなかにあって苦闘する魂と、それを観照する者の違いでしょう。コヘ レトの結論は、「飲み食いし、太陽の下でした労苦のすべての結果を楽しむこと、そ こに満足すること、これが神から人に与ええられた“分”、賜物だ」ということです。 主イエスの財産や富に対する見方はさらにラディカルです。「財産を売り払って、貧 しい人に分け与え、それからわたしに従ってきなさい」といわれるのです。富の魔力 をさらに厳しく見ています。
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