6月23日
2013年6月23日

「 人生の歩き方を知ること 」

コヘレトの言葉 6:7-12 ; ルカによる福音書 6:20-26


 コヘレトの言葉を通して「人生の歩き方」を知ることは、幸いと祝福に至る確かな道

を示されているとはいえません。むしろ虚飾や影を取り去った人生の実態をあからさ

まに示して、その中で生きることを教えます。「人の労苦はすべて口のためだが、そ

れでも食欲は満たされない。」確かに、食べるための労苦は一生付きまといます。食

べなければ生きて行けません。食べるためには働かなければなりません。いくら働い

ても食欲はこれでよしと終わりを告げてくれません。またすぐに空腹になるのです。

「食欲」と訳されている語は、「魂」と訳される語と同じですから、「それでも魂は

満たされることはない」と解することも出来ます。だとすると、口が満たされても、

もっと精神的なものを求めずにはいられない人間の様を描き出しているともいえます。

また、「短く空しい人生の日々、影のように過ごす人間にとって幸福とは何かを誰が

知ろう。人間その一生の後どうなるかを教えてくれるものは太陽の下にはいない」と、

なんとも厭世的な言葉が重ねられます。ここには人が生きることについて希望、充実、

喜び、感激、愛といったこととは全くありません。神を畏れ、知恵に従って誠実に努

力し、志と目標を達成するといったことや隣人を愛し、他者のために命を注ぎ、とも

に生きることを喜ぶことを鼓舞するのでもありません。生きることの肯定的な価値観

を一切剥ぎ取り、裸の、孤独な、死に至る病にとりつかれた人間の姿が描き出されて

います。

 このような厭世的な人生観が語られるということは、人間は永遠のもの、不朽のも

の、全能であることといった、その逆のことを求めてやまないことを示しています。

神ならぬ我に対する反発、欠落感に悩まされている人間の姿です。魂の健康と充足を

取り戻すためには、主イエスがルカによる福音書6:20〜26で語られた劇薬が有効です。

「貧しい人は幸いである。・・今飢えている人は、幸いである。・・。今泣いている

人は、幸いである。・・・富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう

慰められている。今満腹している人々、あなたがは飢えるようになる。今笑っている

人々は不幸である。あなたがたは悲しみ泣くようになる。」人間が求める幸いと神が

与える幸いの違いを認識する知恵が必要です

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