コヘレトの言葉 7:1-6 ; フィリピの信徒への手紙 1:15-26
「名声は香油よりもよい。死ぬ日は生まれる日よりもよい。生まれた日よりも弔いの 家に行くほうがよい。悩みは笑いよりよい。賢者の叱責を聞くほうが愚者の賛美を聞 くよりもよい」、とコヘレトの言葉は、相対立する人生の諸相を並べて、わたしたち の常識とはまったく逆のことを主張しています。人が喜び願うことは悪くて、人が恐 れ、忌み嫌い、避けたいことが願わしいこととされているのです。「コヘレトの言葉」 全体を通じて、「空の空、一切は空」とのつぶやきに満ちていますが、それでも、 「命あるもののうちに数えられてさえいれば、まだ安心だ。犬でも生きていれば獅子 よりもましだ」とどこか生きていることに対する肯定や楽観的なところがあります。 しかし、ここでは、笑いも快楽も、喜びもすべて退却を命じられて、生きることより も死ぬことのほうがよいと最も厭世的、否定的なところに落ちてしまっています。 このように逆転された世界の観方を聞くとき、見えなかった世界が見えてくること は確かです。「悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ」と。言われます。 別の訳では「怒りは笑いよりもよい。悲しみは魂を改善する」とあって、なるほどと 思わせられます。死に直面することによって人は知恵の心を得ます。「艱難辛苦なん じを玉にす」とか、「禍福はあざなえる縄の如し」といった諺にも通じ、逆もまた真 の人生の一面を見させてくれるのです。 キリスト者は人生の受け止め方において、この逆転の意義についてはよく知ってい る、と言うべきでしょう。パウロがフィリピの信徒への手紙で「わたしにとって、生 きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と語っていることは、まさにこ の逆転を表していますし、「主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、 今では他の一切を損失とみています」とも言います。コヘレトの見方とはまったく違 いますが、キリストを知る、という絶大な価値のゆえに、わたしにとって生と死の意 味をまったく逆転させる力に出会わされているのは確かです。
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