コヘレトの言葉 8:1-8 ; ヨハネによる福音書 3:1-15
コヘレトはこの世で知恵を用いて生きてゆく生き方を示します。「王の命令に従っ ていれば誰も災いに遭わない。知恵の心を持つものは、その時と方法を知っている」 と。きわめて現実的なありふれた知恵です。いかに知恵があるといえども、権力には 逆らえない。権力者の意向に合わせてその生き方を選択することが賢い生き方だとい うのです。先にコヘレトは「知恵の影は銀の影。知恵はその持ち主に命を与える」(7:12) と知恵がいかにこの世を生きるに当たって有効であり力があるかについて語りました が、知恵によって与えられる命も富も、王の権力の前には従わざるを得ない、という わけです。これは知恵というよりもまことに打算的な処世術のようなものです。王の 権力は現在風に「経済の力、マンモンの神」とすれば、今にも多くの人が従っている 考えです。しかし、そこからコヘレトらしい言葉が続きます。「すべてのことに時と 方法があるが、災難は人の上に重くのしかかる。われわれはどのように生きるべきか を知らない。誰がそのことを知らせてくれるだろうか。・・・人は霊を支配できない。 霊を押しとどめることは出来ない。死の日を支配することは出来ない。戦争を免れる ことは出来ない。悪は悪を行うものを救わない。」力と権力を持って支配する王もま ったく無力にならざるをえないものがあることを見て、権力の限界を見切っているの です。 「人は霊を支配することは出来ない」というとき、「霊」は「風」との「息」とも解す ることが出来ますから、時代の風、風の吹き回し、時の勢いに流され、翻弄されるわ たしたちの国や社会の現実、また人類の歴史のことを思い起こさせます。「風・霊」 にも聖なるもの(「聖霊」)と邪悪なもの、病と死と狂気をもたらすもの(「悪霊」)があ ります。どちらの霊に支配されるかによってまったく異なった世界が現れることにな りますが、コヘレトは、聖霊にしても悪霊にしても、人は支配できないことを認識し、 そこから権力と、また知恵の限界を認識しています。その限界をしている限りでは良 心的な知者というべきでしょう。しかし、主イエスはパリサイ派の指導者ニコデモと 語り合ったとき、「誰でも水と霊によらなければ神の国を見ることはできない」と語ら れ、確かに、神の国を見ることができる聖なる風、聖霊の存在を確かに示し、その霊 を求めるようにと教えられました。聖霊は主イエスの霊・息なのです。
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