コヘレトの言葉 8:9-14 ; ガラテヤの信徒への手紙 3:7-14
太陽の下に生きる世界の有様を観察してコヘレトのつぶやきは続きます。「今は人 間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ」と。すぐ前のところで、賢者は王 の権力とその指図に従順に従うことが知恵だと教えていましたが、ここでは、王の支 配や国の組織だけでなく、すべての人と人との関係、共同体のあり方全体についてき わめて根源的で否定的な見解が示されています。人は一人でいることはできない、何 事にしても、協力し、心を一つにして取り組むことで大きな成果を得ることができる という常識は覆されています。よい組織、健康で成熟した社会と独裁的・暴力的な悪 い社会の区別もここにはありません。 コヘレトの太陽の下にある世界の観察は、人間社会の中にあるこの不条理、「人間 が人間を支配して苦しみをもたらす」ことについてのつぶやきだけではありません。 神の支配のうちに不正義・不条理があることにも思い至り、「空しい」とつぶやきま す。「邪悪な者が葬られて安らかな休息に入るかと思えば、正しい行いをしたものが 聖所から排除されて忘れ去られる」ことや「罪を犯した者が百度も悪事を働いてなお 長生きしている」とか、「善人でありながら悪人の業の報いを受けるものがあり、悪 人でありながら善人の業の報いを受けるものがある」と、勧善懲悪・因果応報の原則 が正しく的確に行われていないという現実を見ているのです。コヘレトの空しさの感 覚は、単に何もない空虚感ではなく、自分のあるべきだと考える世界ではない現実に 対する神への抗議というニュアンスを含んでおり、わたしたちの感じる空虚感の源泉、 出所にも気づかされます。 しかし、コヘレトは「神に対する恐れがなければ長生きできず、長生きしたとして もその人生は全く実体がなく影のようなものだ」とも言います。その心は揺れ動いて ます。一心に神のなさることを信頼してゆだねて生きることも、神なしに生きること も出来ない、確信のもてない呪われたような世界の中を生きているのです。わたした ちの多くが生きている現実そのものの感覚です。「キリストはわたしたちのために呪 いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖いだしてくださった」と語られます。こ の新約の鏡に、コヘレトのつぶやきも映し出され、人間の罪の究極の処置が神の前で どのようになされているかを知らなければなりません。
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