9月8日
2013年9月8日

「 知恵は武器にまさる 」

コヘレトの言葉 9:13-18 ; コリントの信徒への手紙一 13:1-13


 コヘレトの言葉9:13〜10:15は様々な格言のような言葉が続きます。人間と

世界を観察しその中を生き抜いてゆく知恵を語っていますが、それも一筋縄ではあり

ません。人生を賢く生き抜いてゆく知識や知恵といえども、そこにも限界があり制限

つきのものであるにすぎないというシニカルな視点も忘れていません。「わたしは太

陽の下で知恵の偉大さを見た」という言葉に始まって、その例として小さな町の少な

い住民のところに大きな町の王が攻めてきて大きな要塞を造りこれを攻め取ろうとし

たが、この町に貧しい賢者がいてこの人の知恵によって小さな町は滅亡を免れた」と

いうのです。大きい、小さい、賢い、貧しい、などの対照的な形容詞が並んで、その

出来事を際立たせています。要するに、小さく貧しいものも、知恵があれば大きく強

いものに負けることはないというよくある例えです。ところが、コヘレトはここで観

察を終えていません。この小さな町を救った貧しい賢者はその功績がすぐに忘れ去ら

れ、だれからも顧みられなかった、といって、貧しい賢者は侮られる空しさを語るの

です。

 また、「知恵は武器にまさる」と武力を持ちたがる現代の政治家にも聞かせたいよう

な優れた警句を語りますが、すぐに続けて「一度の過ちは多くの善をそこなう」とい

って知者の善行を台無しにするような「一度の過ち」、愚行からは自由ではない人間

の事態を暴きます。「制限つきの知恵の価値」でしかないのです。コヘレトは賢者と

愚者、賢さと愚かさというスぺクトルで人生の幸/不幸、成功/失敗が決すると考え

ます。つまり、正しく多い情報とそれを判断する能力が幸/不幸を決するという考え

で、現代的な思考に通じます。しかし、そのスペクトルには限界と破れがあることを

コヘレトは認識して、その突破口を見いだせないでいるのです。

 新約聖書の鏡にこのコヘレトの認識を映すと独特の映像が浮かび上がってきます。

「あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ山を移すほどの完全な信

仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。…愛は決して滅びない。預言はす

たれ異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから、

完全なものが来た時には、部分的なものは廃れよう」(1コリント13:2,8-10)。

ここには驚くべき突破口が示されています。


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