コヘレトの言葉 10:1-15 ; ヤコブの手紙 3:13-18
コヘレトの言葉10:1−15も様々な格言が続きます。いつものコヘレトの言葉に 漂うシニカルな調子はここにはなく、箴言に見るような格言が続きます。「死んだ蠅は 香料づくりの香油を腐らせ臭くする。わずかな愚行は知恵や名誉より高くつく。」一度 の過ち、愚行がどんなにどんなに知恵や名誉に満ちた生涯でも台無しにしてしまうこと の戒め。「賢者の心は右へ、愚者の心は左へ。愚者は道行くときすら愚かで、だれにで も自分は愚者だと言いふらす。」賢者と愚者の心の持ち方には決定的な違いがある。そ れは行往座臥どんな時ででも現れる。日常のふるまいに注意せよとの戒め。「落とし穴 を掘る者は自らそこに落ち、石垣を破る者は蛇にかまれる。石を切りだす者は石に傷つ き、木を割る者は木の難に遭う。」この警句は、悪を行う者は結局その悪は自分に返っ てくるとの戒めととることもできますが、むしろ、ことを行うに当たって注意しなけれ ばならない危険や危機はもっとも身近なところにある。自分が操作することができ、自 分の力の下にあると思っているものによって思わぬ危機を招くことに気づかせてくれま す。「賢者の口の言葉は恵み。愚者の唇は彼自身を呑み込む。愚者はたわ言をもって口 を開き、うわ言をもって口を閉ざす。愚者は口数が多い。未来のことは誰にもわからな い。死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。」 いささか退屈な賢者と愚者の対象が続きます。わたしたちは誰も愚者になりたいとは 思わず、賢く生きたいと願っています。しかし、現実の生活では、何が賢く何が愚かか は判別がつき難いことが問題です。賢い選択をしたつもりがとんでもない間違いであっ たり、失敗したと思ったことが意外に良い結果をもたらしたりします。自分の中に賢さ と愚かさは絶えず同居していて、その見分けは自分自身では付きにくいのです。そのよ うな不確実性を抱えて生きています。新約聖書のヤコブの手紙では、知恵のうちにも 「上からの知恵」と「地上のもの、この世のもの、悪魔から出た知恵」があることを教 えます。地上的な知恵は妬みや利己心、混乱やあらゆる悪い行いを引き起こし、上から の知恵は純真で温和で優しく従順・・・と続きます。なによりもわたしたちが求めるべ きものは、自分の知恵に頼らず、自分の愚かさを知って。上からの知恵を聖霊によって 与えられ、導かれることです。
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