コヘレトの言葉 11:7-10 ; ヨハネによる福音書 12:35-50
コヘレトの言葉の最後は青春の讃歌と若い人への戒めが続きます。12:1の「青春の 日々にこそ、おまえの創造主に心を留めよ」という言葉はよく知られていますが、そ の入り口は11:7から始まります。「光は快く、太陽を見るのは楽しい。長生きし、 喜びに満ちているときにも、暗い日々が多くあろうことを忘れないように。何が来よ うとも、すべて空しい。」これまでコヘレトは太陽のことを語るときはいつも「太陽 の下」のことばかりで、太陽の光の明るさや輝き、暖かさについて語ることはありま せんでしたが、ここではじめて、目を上にあげて太陽の光の心地よさ、明るさのこと を語ります。視点が変わることによって、今まで太陽の下の影ばかりを見ていたのと は違う光景が見えはじめています。しかし、その眼はすぐに太陽の光の中で歓喜に満 ちた長い年月があったとしても、その間に苦難の日々があることを忘れてはならない、 と下のほうに目が行き、警告を忘れません。目を天に上げて、光のある方を向け、光 そのものを造りになった方にまで思いが及ぶなら、「闇の中でも主はわたしを見てお られる。夜も光がわたしを照らし出す。闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も 昼も共に光を放ち、闇も光も変わることがない」(詩編139:11〜12)と語り出すことが できたはずですが・・・。9〜10節では「若者よ、おまえの若さを喜ぶがよい。青年 時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け」と、若者が精 一杯に青春を喜び楽しむことを勧めるとともに、ここでも青春の歩み全体は「やがて 神の裁きの座に連れて行かれる」と述べて警告を忘れません。ここでは若者をあらわ す三つの言葉が使われています。“バークール”(「選ぶ」という動詞からの派生語)、 “エレド”≪「生まれる」という動詞の派生語〉、“シャハルース”(「夜明け前」、 「黒い」という意味を持つ言葉)でそれぞれ含蓄があります。若いということは選択 の過程にあるということ、夜明け前の人、あるいは老人の白髪に比べて黒い髪の人と 解されているのです。若者とは選択の過程にある人であるとすれば、その自己決定の 背後に神の選びと罪の赦しと贖いとが明らかにならない限り、「若さも青春もむなし い」という結論はやむをえません。
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