11月17日
2013年11月17日

「 神を畏れ、その戒めを守れ 」

コヘレトの言葉 12:8-14 ; ガラテヤの信徒への手紙 5:16-26


「コヘレトの言葉」の最後は、編集した人のあとがきのようなものと考えられます。

「賢者の言葉はすべて, 突き棒や釘、ただ一人の牧者に由来し、収集家が編集した」

と記され、知恵を突き棒や釘にたとえるのは知恵文学の特徴をよく表しています。こ

の書の全体を要約として、「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れその戒めを守

れ』これこそ人間のすべて」としているのは、これまでコヘレトが語ってきた内容と

はかけ離れていて、むしろそのラディカルな内容を矯正しているニュアンスが聞こえ

てきます。

 コヘレトの言葉全体を通して「神」はどのように取り上げられ、意識されているか

を調べると、4つの特徴が見えます。1)空しい人生の中で、せめて楽しく飲み食い

せよ、これは神が与えたものだ、2:24;3:11;5:17;8:15;9:7、2)神を畏れ敬え、神

を畏れれば幸福になり、畏れなければ長生きできない、5:15;7:18,etc.、3)神がな

さることに人間は文句が言えない、神が曲げたものを誰が直し得よう、7:13;9:11,etc.、

4)神はすべての行いを裁きの座に引き出される、3:17;12:4;12:14etc.。コヘレトは、

神とは全く無関係に生きているわけでもありません。「人間にとって最も良いのは飲

み食いし、自分の労苦によって魂を満足させること、それはわたしの見るところ神の

手からいただくもの」と神の存在をどこかに感じています。かといって、太陽の下す

べてが空しく、風を追うような世界の中で、そのむなしさを吹き飛ばし、存在の意義

と充実を感じさせて喜びと感謝を与えてくれるでもありません。神は一時的な避難所、

一種の気晴らしのようです。ある場合には、神の存在そのものが不安と空しさを掻き

立てるものとなっています。

 コヘレトが神を語るとき、もう一つの点は、3章の「何事にも時がある…神のなさ

ることはすべて時にかなって美しい」と人が時と永遠のはざまで生きていることに気

づかせるところ、また神はわたしたちの「創造主」であって、若い日にそのことに心

を留めて生きることの大切さを教えます。旧約全体でコヘレトが光を放っているとこ

ろです。しかし、コヘレトの神は未だ遠くにいます神です。新約の主イエス、聖霊に

よる福音が待たれます。


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