12月1日
2013年12月1日

「 目を覚ましていなさい 」

イザヤ書 2:1-5 ; マタイによる福音書 24:36-44


 アドヴェントの時をすごしています。この時期わたしたちはかつて起こった主の

到来の出来事を思い起こすだけでなく、これから起こる主の到来について知らなけ

ればなりません。主が十字架につけられるすぐ前に、「あなたが来られて世の終わ

るとき、どんな徴があるのですか」と尋ねる弟子たちに、主が答えられた情景は恐

ろしいものです。偽メシアがあらわれて人々の心を惑わし、戦争の騒ぎや戦争のう

わさを聞き、民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々で地震や飢饉が起こり、

主の弟子たちは迫害され殺される。まさに世界史を凝縮したような、このような苦

難の日々の後に、さらに「たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から

落ち、天体は揺り動かされる」、そのただなかで、「人の子が大いなる力と栄光を

帯びて天の雲に乗って来るのを見る。…天使たちは天の果てから果てまで彼に選ば

れた人たちを四方から呼び集める」というのです。さらに、主イエスは、その日が

突然に、予期しない時にやって来るので、目を覚ましているようにと警告されます。

主の到来は突然に来るだけでなく、それは日常生活のただ中で、全世界のすべての

人を巻き込み、すべての人を分断するような形で来ることを告げています。「人々

は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」そのような生活のただ中で、

「畑に二人の男がいれば一人は連れて行かれ、もう一人は残る」といった形で選ば

れる者、捨てられる者が分断されるのです。

 このようなアドヴェントにわたしたちはどのように目を覚まして生きるのか、こ

こでわたしたちは福音の使信を聴かなければなりません。この時のために、主イエ

ス・キリストの死があり復活があるのです。この時に先立って「御国のこの福音は

あらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」そのために、わたしたちが

召し出されています。


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