イザヤ書 52:7-10 ; ヨハネによる福音書 1:1-14
クスマスの時、わたしたちはベツレヘムの馬小屋で生まれた幼子イエス・キリス トのことに目を注ぐだけでなく、ここで生まれた子どもは、世の初めより神と共に あり、すべてのものはこの方によって創造され、この世界に命と光をもたらした方 でありたもうこと、この方が肉体をとってわたしたちの間に宿られた方であるとい う驚くべきメッセージを聴きます。ヨハネによる福音書のプロローグはその真理を わたしたちに告げています。 「はじめに言があった」と荘重な調べによってはじまるプロローグは、バプテスマ のヨハネのついての証言(6−8,15節)を除いて、イエス・キリストがどのような 方であるかを告げているのですが、主イエスは「言」(ロゴス)であって、その 「言」は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は 初めに神と共にあった。…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」 これらの「・・・であった」という言葉の群と、「万物は言によって成った。成っ たもので言によらずに成ったものは何一つなかった。…世は言によって成ったが、 世は言を認めなかった。…言は肉となってわたしたちの間に宿られた。」これらの 「・・・と成った」という言葉の群によって構成されています。「成った」という 言葉は「来た」とか「生まれる」という言葉とも関連しています。神であり、神と共 にあった言が万物を生成させ、光であり命であった言が自分の民のところに来て信 じ受け入れる者に神の子となる資格を与え、その言が肉となってわたしたちの間に 宿られ、わたしたちは恵みと真理に満ちている姿を見たと、神が神であったところ から人となるところに向かって大きく動かれたこと、そのうちに恵みと真理があふ れていることを証言する内容となっています。想像を絶するありえない動きである ことは確かです。 「万物は言によって成った」ということは、言(ロゴス)なしにあるものは何一 つないということ、つまり、無秩序と混沌、闇と死が万物の根源ではないというこ と。その上、「言が肉となってわたしたちの間に宿った」という恵みによって、死 と闇に沈む者にも確かな光、命へと救い出される、ということです。
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