12月22日
2013年12月22日

「 光は暗闇の中で輝いている 」

イザヤ書 52:7-10 ; ヨハネによる福音書 1:1-14


 クスマスの時、わたしたちはベツレヘムの馬小屋で生まれた幼子イエス・キリス

トのことに目を注ぐだけでなく、ここで生まれた子どもは、世の初めより神と共に

あり、すべてのものはこの方によって創造され、この世界に命と光をもたらした方

でありたもうこと、この方が肉体をとってわたしたちの間に宿られた方であるとい

う驚くべきメッセージを聴きます。ヨハネによる福音書のプロローグはその真理を

わたしたちに告げています。

「はじめに言があった」と荘重な調べによってはじまるプロローグは、バプテスマ

のヨハネのついての証言(6−8,15節)を除いて、イエス・キリストがどのような

方であるかを告げているのですが、主イエスは「言」(ロゴス)であって、その

「言」は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は

初めに神と共にあった。…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」

これらの「・・・であった」という言葉の群と、「万物は言によって成った。成っ

たもので言によらずに成ったものは何一つなかった。…世は言によって成ったが、

世は言を認めなかった。…言は肉となってわたしたちの間に宿られた。」これらの

「・・・と成った」という言葉の群によって構成されています。「成った」という

言葉は「来た」とか「生まれる」という言葉とも関連しています。神であり、神と共

にあった言が万物を生成させ、光であり命であった言が自分の民のところに来て信

じ受け入れる者に神の子となる資格を与え、その言が肉となってわたしたちの間に

宿られ、わたしたちは恵みと真理に満ちている姿を見たと、神が神であったところ

から人となるところに向かって大きく動かれたこと、そのうちに恵みと真理があふ

れていることを証言する内容となっています。想像を絶するありえない動きである

ことは確かです。

 「万物は言によって成った」ということは、言(ロゴス)なしにあるものは何一

つないということ、つまり、無秩序と混沌、闇と死が万物の根源ではないというこ

と。その上、「言が肉となってわたしたちの間に宿った」という恵みによって、死

と闇に沈む者にも確かな光、命へと救い出される、ということです。


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