12月29日
2013年12月29日

「 彼らの苦難を自分の苦難とし 」

イザヤ書 63:7-9 ; マタイによる福音書 2:13-23


「ハレルヤ、王の王、主の主が来られた」と讃美したクリスマスの出来事のすぐ後

で、マタイによる福音書が伝えるところによれば、生まれたばかりの幼子の命を狙

うヘロデ王の手から逃れるために聖家族はエジプトに行くことになったこと、そし

てベツレヘムと周辺の村々では2歳以下の子供が殺されることになったことが伝え

られています。「福音」として語られる主イエスの生涯は、その初めに、このよう

な人間の悪意と暗黒の世界によって主イエス・キリストは迎えられたのです。

 「占星術の学者たちが帰ってゆくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。

『起きて、子供とその母親を連れてエジプトに逃げ、わたしが告げるまでそこにと

どまっていなさい』」自分の民を罪から救うために来られた幼子は、ここでは全く

無力で、助けを必要とする存在です。罪と死と暗黒が支配するただなかに来られた

救い主は、その働きを始める前に、助けられ救われるべきものとしてあったという

事実、そして、その助け手としてヨセフがそのために用いられたという事実を知ら

されるのです。ヨセフは神の救済計画の中心にある人ではありません。しかし、こ

の人の奉仕なしには神の計画の立ち消えになってしまいます。神は、このように、

人を御自身の計画のために用いられます。「立ち上がれ、ヨセフ」と告げることに

よって。夢の中で主の天使の命令を聞いたヨセフは、ここでも、ためらうことなく、

直ちに起き上がって夜の内に幼子と母親とを連れてエジプトに逃れます。ここでも、

ヨセフの従順は際立っています。人の声、自分の内なる声にではなく、ひたすら主

の声に従っているのです。

 「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って大いに怒った。そして、人を

送り学者たちに確かめておいた時期にもとづいてベツレヘムとその周辺一帯にいた

2歳以下の男の子を一人残らず殺させた。」ヘロデのこの行為は明らかな神への反

逆です。神が果たそうとする計画の実現を力を尽くして阻止しようとする意志、そ

の中身は恐れ、不安、すべてのものに対する疑惑、何よりも自分以外の存在を許さ

ない孤独な魂。しかし、ヘロデが実行することには、確かな計算(ロゴス)がありま

す。周到な計算によって「ベツレヘムとその周辺一帯の2歳以下の幼子」を殺させ

ているのです。サタンの行為にもロゴスがあり、神のロゴスの存在に対して真っ向

から挑むのです。罪と死が支配する暗黒の世界、この世のロゴスが働いています。

主イエスがやがて成長し、このベツレヘムの事件を聞かされたとしたら、このこと

をどのように受け止めたでしょう。自分のために、多くの同世代の子供の命が奪わ

れたこと、幸運にも自分は生きていることを手放しで喜んだでしょうか。このよう

な出来事は、民族紛争や戦争のために難民となって不自由な生活を強いられている

状況、とりわけ子どもたち、幼子にその過酷な状況の被害が及ぶ事態は、今もまだ

続いています。主イエスはまさにこの世界のただ中に来られたのです。

 不思議なことに、マタイによる福音書は、これらの出来事はすべてすでに預言者

たちによって予告されていることが実現したことだとして、一つ一つに旧約の言葉

を引用しています。世の終わりと思えるような出来事の中にも神の計画があり、そ

の実現を阻むことができないことを明らかにしているのです。



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