創世記 2:1-25 ; エフェソの信徒への手紙 2:1-10
『ハイデルベルク信仰問答』問6 「神はそのように人間を逆転した駄目なものに造 られたのですか?」 答「そうではありません。神はご自分にかたどってよいものとして造られました。つ まり、真の正しさと聖さをもって造られたのです。それによって、神を創造者として 正しく認識し、心から神を愛し、神を讃え敬って、永遠に祝福を受けて神と共に生き るようになるためでした。」 人間の罪と悲惨がどんなに大きいかということは、歴史や社会、そして現在の世界 の状況を見れば理解できます。世界のいたるところで正義と公正に対する侵害があり、 憎しみや裏切りから起こる出来事が絶え間なく、命への侵害、平和への侵害、地球環 境への侵害と、これらの事例をあげればきりがありません。人間の現実、歴史、社会、 心理の深みを知れば知るほど「人間の心に思いはかることは悪い」と言われればそう いう側面もある、と納得させられます。しかし、その悪と罪の正体は何かと問われる と、他人事のようで、捉えがたいのです。エフェソの手紙には、「この世を支配する もの、かの空中に勢力を持つ者、すなわち附従順の子らの内に今も働く霊に従い、過 ちと罪を犯して歩んでいた」と記されていますが、まさに空気が罪と悪を運んでくる といった具合です。しかし、聖書は罪と悪の正体を突き止めます。神に造られた者と して、正しく神に向き合うことをしないところに、その根源があるというのです。こ こに、「異質な新しい世界の入り口」とブルッグマンが語るところの、創造者の側か ら見た人間の現実が示されます。 創世記の初め、人は神の最後の被造物として「我々にかたどり、我々に似せて人を 造ろう。…地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを 支配せよ」と記されるように、神の特別な意図と祝福をもって造られ、神と対話ので きる相手、特別な権威と責任を持つものとして造られています。まさに「神を創造者 として正しく認識し、心から神を愛し、神を讃え敬って、永遠に祝福を受けて神と共 に生きるようになるため」に造られているのです。本来の人間の創造目的にかなって 生きているかが問題です。
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