創世記 3 ; ローマの信徒への手紙 5:12-21
『ハイデルベルク信仰問答』 問7「人間のそのような堕落した性格はどこから来たのですか?」 答え:「それはわたしたち人類の最初の父祖、アダムとエバがパラダイスにいた時 におかした堕落と不従順から来ています。それによって私たちの本性も冒されてしま いましたので、わたしたちすべても罪のうちにみごもられ、生まれているのです」 キリスト教の信仰を理解するうえで罪の教理を学ぶことは極めて重要です。わたし たちの救いはどこから来るかを知るための前提になるからです。人間存在の根底に潜 む罪と悲惨の現実に気づくことがなければ、福音によって告げ知らされる救いのリア リティーにも触れることはできません。 創世記の失楽園の物語を通して語られる罪の起源は、人間の罪が発生する原初事態 を示してまことにリアリティーに富んでいます。それは、戦争や殺し合い、虐待や不 倫、裏切りや強盗といった誰の目にもわかる悪事によってではなく、まことに牧歌的 ともいえるようなところから始まっています。神によって命の息を吹き入れられたア ダム。すべての食べ物を備えられ、特別に職務を与えられ、ふさわしい助け手として すべての動物と、最後に妻のエバを与えられて、エデンの園の住人となってす。神は ただ一つ、アダムに戒めを与えました。「園のすべての木から取って食べなさい。た だし、善悪の知識の木からは決して食べてはならない」。と。蛇の問いに対するエバ の言葉の中に罪の兆しが見えます。「わたしたちは園の木の果実を食べてよいのです。 でも園の中央に生えている木の実だけは食べてはいけない。触れてもいけない。死ん ではいけないから」と、神の戒めを過度に厳しく、また適当にやわらげています。戒 めの操作が始まっています。蛇が「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、 神のように善悪を者となることを神はご存じなのだ。」神のようになる、まさに、こ こに鍵があります。神のように目が開けた結果は、互いが裸であることに気づいたこ と、人にも神にも自らを隠し、神の問いに対して責任転嫁する存在となり、楽園から 追放されます。全人類に及ぶ罪の初めです。
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