ヨブ記 9:14-24 ; ヘブライ人への手紙 2:14-18
『ハイデルベルク信仰問答』 問12:わたしたちは神の正しい裁きによって、この世でも、また永遠に、罰を受 けなければならない者となっているとしたら、どうしたらこのような罰か ら逃れ、再び恵みにあずかることができるのですか? 答え:神が求めておられることはご自身の正しさが十分に実現されることです。そ のためには、自分自身によってか、それとも、他のものによってか、いずれ にしても、完全な償いがなされなければなりません。 問13:わたしたちは自分自身でそのような償いをすることができるでしょうか? 答え:とてもできません。それどころか私たちは罪責を日に日に増し加えているよ うな有様です。 ここからハイデルベルク信仰問答の第二部に入ります。生きる時も死ぬ時もただ一つ の慰めとして、わたしがわたしのものではなく主イエス・キリストのものとなってい ること、この慰めを確保するためには、第一にわたしの罪と悲惨がどれほど深いかを 知ることでしたが、ここからは、その罪と悲惨からどのように救われるか、聖書を通 して示される救いの道が語られます。まずここでは、犯された罪に対して「償い」が なされなければならない、その償いをどのようにして果たすことができるかが問われ ます。償いがなければ負い目や罪は解消されないという考えは、商売や交通事故など 現実世界では常識ですが、神との関係でも償いが必要という考えは現在人には何かし っくりこない古代風の考えだと思われます。償いというより癒しや問題の科学的解明 に力を注ぐべきだ、と。しかし、わたしたちが享受する繁栄や安全、安心は、誰かの 痛みや苦難の犠牲の上に成り立っており、それに気づかないままに安逸をむさぼって いるようなものであることを、過日の原発事故などを通して示されます。償いの必要 を自覚しなければ、誰か他者に償いの重荷をおわせるという悪い循環を引き起こしま す。では、この循環をどこで止めることができるか。「それどころか、私たちは罪責 を日に日に増し加えているような有様です。」重い警告です。
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