ミカ書 7:18-20 ; ヘブライ人への手紙 9:11-22
ハイデルベルク信仰問答の第二部のはじめはイエス・キリストによってもたらされる 神からの救いはどのような救いなのか。聖書が証しする救済の道について明らかにして います。生きるにも死ぬにもただ一つの慰めを得るためには、まず、神と人とを憎む傾 向にあるわたしたちの罪の清算と償いがなければならない。その償いは、「真実の正し い人、しかも、すべての被造物よりも強力な方、すなわち同時に神であるようなお方」 によらなければならないという答えから、どうして真実で正しい人でなければならない か、どうして同時に神のようなお方でなければならないかの問いと答えがあり、「その ような仲保者、すなわち真実の神であると同時に、正しい人間であるようなお方は一体 誰ですか」の問いに対して、「わたしたちの主イエス・キリストです。この方は完全な 救いと義とをわたしたちに与えるために送られた方なのです」と決定的な答えに到達し ます。 このような論理の展開は、初めにこの答えがあってその答えを導き出すための論理で あることは明らかですが、聖書を通して語られるイエス・キリストの事実が、いかんと もしがたい人間の罪の現実に対する深い神の配慮と愛とによってもたらされた、根源的 な救いの事態であること、まさに神のロゴスに基づくものであることを伝えています。 もし、人間が考える救いの道を提示しようとすれば、罪を認識することもなく、その根 源の問題性に気づくこともなく、その場しのぎの助けとなるような八百万の神々を捏造 するに違いありません。 主イエス・キリストが「真実の神であると同時に、真実の正しい人間である」という ような神・人両性を持つことにおいて、わたしたちの救い主となられたという秘儀、わ たしたちには理解しがたい、まさに、つまずきとなるようなことについて、聖書は様々 な箇所で語っています。「ヘブライ人への手紙」は特に鮮明に、神の子の本質を持つ方、 創造者であり、神から送られた方が、数々の試練によって従順を学び、わたしたち人間 の兄弟と同じようにならなければならなかった次第を明らかにしています。わたしたち の救いのために。
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