出エジプト記 3:1-10 ; ヨハネによる福音書 5:31-40
『ハイデルベルク信仰問答』は、わたしたちの救いは、まことの神の子であり、まこと の人となられたイエス・キリストによってのみ成し遂げられたことを力強く語ります。 ここには、「謙虚さは偉大さによって引き受けられ、弱さは強さによって、可死性は永 遠によって引き受けられた。そして、われわれが背負った負債を支払うため、犯し得な い本性が苦しみ得る本性と一つになったのである。ご自身を虚しくすることによって、 目に見えぬ神が見えるかたちを取り、万物の創造者にして主なる方が自ら死すべき者と なられたのは憐れみの発露であって権能の喪失ではなかったのである」(レオ1世)と語 られるように、主イエス・キリストによる救いが、神の憐れみと赦しの愛の大いなる神 秘の現れであることを示します。 問19では、「この救いについての知識はどこから得るのか」と問い、それは「聖なる 福音によってです」と答えます。「聖なる福音」が意味していることは、新約の福音書 のことだけでなく、旧約・新約をふくむ66巻の聖書全体のことです。「初めに神ご自身 がパラダイスにおいてそのことを啓示なさいました。それに続いて聖なる族長たちや預 言者たちを通して告げ知らされ、さらに、犠牲の供え物やその他の律法に従った儀式を 通してその原型が示され、そして最後に、神の愛する御子によって成し遂げられたので す」、と。神との契約のもとに生きる神の民イスラエルの歴史と礼拝の習慣の中で展開 された神と人間との関わりがあって、そのかかわりの究極の事態としての主、キリスト・ イエスの生と死、復活の出来事、これによってわたしたちの救いについての知識が教え られているというのです。それは、主イエスが「あなたたちは聖書の中に永遠の命があ ると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」 (ヨハネ5:39)と語っておられること、また、パウロがイエス・キリストを信じる信 仰の義が「律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示さ れました」(ローマ3:21)と語っていることによって、聖書全体がわたしたちの救い の知識を知る源泉であり、その核心を明示しています。
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