4月13日
2014年4月13日

「 まことの信仰とは 」

創世記 15:1-6 ; ヨハネによる福音書 3:16-21


『ハイデルベルク信仰問答』問20:「それでは、すべての人間がアダムによって失わ

れた者となっていたように、キリストによってすべての人間が祝福を受けることができ

るようになったのですか。」

答え:「いいえ、そうではありません。まことの信仰によりキリストと一体になり、キ

リストのすべての御業を受け入れる者だけがそうなるのです。」

 主イエス・キリストによってもたらされた完全な救いと義に“すべての人間が”あず

かれるのか、というこの問いは誰にとっても真剣な問いであるはずです。人類の始祖ア

ダムの罪の及ぼす影響が普遍的であり、わたしにも及んでいることを知れば、救いをも

たらすキリストの御業がこのわたしにも及ぶことが確約されるならば安心できます。し

かし、答えは“no!”です。パウロの言葉に従えば、正確には “yes”but “no”であ

るはずです。ローマの信徒への手紙5:18,19には「一人の罪によってすべての人

に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によってすべての人が義とされて命

を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、

一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです」と記されています。キリスト

の死と復活によって成し遂げられた御業は、すべての人を救う力があり、その解放と自

由はすべての人に開かれています。しかし、その解放の力にすべての人があずかれるか

というと、そうではない、まことの信仰をもって受け入れなければならない、というの

です。では、まことの信仰とは何か。『ハイデルベルク信仰問答』21の答えは、実に要

点を得ています。「まことの信仰とは、神がわたしたちに御言葉をもって啓示してくだ

さったことを、すべて確かに真実だとわたしが認識するだけでなく、心から信頼するこ

とです。それによって、聖霊が福音によってわたしたちの内に働きかけて、他の人に対

してだけでなくわたしに対しても、罪の赦しと永遠に義と認められること、そして、神

からの祝福が贈られるのです。それは、全く純粋に恵みによるものであり、ひとえにキ

リストの功徳によるものです。」


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