エレミヤ書 31:31-37 ; 使徒言行録 10:34-48
復活の主に出会ったペトロは、カイサレアの復活のローマの百人隊長コルネリウスの 家で説教をし、異邦人がキリスト者の群れに加えられるという画期的な出来事が起こり ます。 (1)復活の主イエスはご自身を民全体に対して現されたのではなく、「前もって神 に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわた したちです」と語られています。これは使徒であるペトロが確かに復活の主に出会った 目撃証人であることを言い表していますが、「主イエスと御一緒に食事をしたわたした ち」という言葉は、ギリシャ語の聖書の原語では「食べ、また飲んだ」という言葉にな っています。これは、礼拝の中で行われる聖餐のことを言い表している言葉です。とす ると、わたしたちも、聖餐にあずかるたびに復活の証人とされていることが明らかにな ります。 (2)復活された主イエスがペトロに命じたことは、「御自分が生きている者と死ん だ者の審判者として定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするように」 ということでした。生きている者と死んだ者の審判者」という言葉はわたしたちが礼拝 の度ごとに告白している「使徒信条」の中にもあり、これは初代教会のキリスト者たち の重要な信仰告白の一部です。復活によって明らかになった全人類への福音、喜びの知 らせが語られているのです。そうでなければ、「民に宣べ伝え、力強く証しするように」 と主イエスは言われないでしょう。復活が及ぼす力は、生きているわたしたちを罪と死 から解放し、まことの命と平安に導きます。主イエス・キリストは生きている者だけで なく、「死んだ者の審判者になる」のです。ご自身が死んだ者となって、その死におい て陰府にまでくだり、罪のゆえに死んだ者にも福音を宣べ伝え、そこから「霊において 生きるように」、復活の命へと導かれる方であるという驚くべき福音が明らかにされて います。取り返しのつかない決定的に絶望的な事態でさえ、福音の力が及ぶことを示し ています。復活がどれほどの深みからの復活であるかを思い知らされます。 (3)「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」と、こ の説教は締めくくられます。教会はすべての民にこのことを語り告げ、信仰へと招く使 命と責任を負っています。
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